倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

追憶

 

 

すべてをうしなった。

 

私を繋ぎとめていた様々の熱と情、その瞬間までこの手に触れていたそれらが、次の瞬間には虚しく空へばら撒かれたのだ。

 

そこにただ、泣き声だけが響いた。息を始めたばかりの嬰児のような、無垢でつつがなく、たっぷりと満たされた幸福の中に息づいていたその声は、まるで妊婦の腹をうち破るかのようにあらわれて、しばらくは波を荒げていた。

 

わたしはすべてうしなった。

うしなわれたものは、かえらない。

 

一艘の小舟が波の間を揺れていた。わたしは櫂を手に岸を目指す船頭であった。あたりには濃い霧が立ち込め、傍にはあなたがいた。

 

わたしはあなたのぬくもりをひしと感じ、あなたの唄声を波とかき混ぜて、なめらかな網模様を描いていた。やわらかな香りを湛えた時間が、わたしの頬を撫でていた。足りないものなどなにひとつなかった。

 

気づけば手には、櫂がなく、小舟はむなしく留まった。すべてが停止した霧の中で、わたしはひとりになってしまった。波が小舟を叩く音だけを聴き、冷たい空気が頬を湿らせていた。

 

瞽になった。空を弄る掌が水面に、ひたり触れると輪になった。輪の中心でわたしはひとりだ。涙は霧になって散った。唸り声は空気を震わせなかった。

 

かなしみが死んでいる。

 

骸のなかで、少女の呼ぶ声を幽かに聴いた。微睡に包まれ、わたしの肌から気泡が放たれた。わたしは溶け出した。あらゆる世界の境界に溶け出していた。わたしは半透明だ。目覚めたわたしを、白い少女がみつめた。少女は瞳に涙を湛え、小さな唇をきつく結んでいた。少女の耳に光が射して、橙の珪石のように澄んでいた。

 

少女はわたしにすがり、死を懇願した。わたしの手にはナイフがあった。これもまた橙の珪石のように光を放っていた。少女はそれを欲しがった。奪われたものを惜しむように、少女は泣き声を上げた。いたたまれなくなったわたしは、ひとおもいにナイフを振った。眼前が赤い繻子織の布で覆われた。裂けた胸を押さえて、少女は微笑んだ。

 

ーありがとう。

 

記憶は泡だ。天鵞絨の布地のおもてに、あらわれては消えてゆく泡のようだ。飛び立つ泡をつかむようにして、わたしはあなたを愛した。願っても消えてくれないものは、その愛しさだけだ。

 

 

わたしもいつかは消えるのだろう。

 

消えずに残るものがいのちである。

 

 

 

 

 

 

「女とポンキン」

 

以下の作品は、小林秀雄が大正十四年二月に、文芸誌「山繭」で発表した「女とポンキン」を、私が現代語に訳したものです。原文は『小林秀雄全集第一巻、様々なる意匠・ランボオ』(新潮社)を参照。

 

  半島の尖端である。毎日、習慣的に此処に来る。幾重にも重なった波の襞(ひだ)が、夏、甲羅を乾かした人間の臭いを、汀(にぎわ)から骨を折って吸い取っている。鰹船の発動機が、光った海の面を、時々太鼓のように鳴らした。透明過ぎる空気が、煙草を恐ろしく不味くしてしまう。前の晩に食べ残した南京豆が袂から出てきた。割れば醜い蛹(さなぎ)が出てきそうだ。私は、琥珀の中に閉じ込められて身動きも出来ない虫のように、秋の大気の中に蹲(うずくま)っていた。

 

  ーー気が付くと、一尺ばかりの、背の低い犬が、私の匂いを嗅いでいた。妙な犬だ。毛が、五分刈りにした坊主頭のように短い。しかも首から先と、尻尾の尖端は、はっきりした別目(けじめ)をつけて、普通に毛が生えている。主人の悪戯に相違ない。私は、ちょっと彼の頭を撫でてやった。

 

  「ポンキン!」、よく透る女の声が響いた。犬は足元から、ばったを飛ばしながら駆けた。水色の洋服に、真黒なジャケットを着た若い女が、小道に現れた。葉の疎(まば)らになった栗の樹の下で桃色の日傘がキリキリと回転した。

 

  女は、黙って私の直ぐ傍に腰を下ろすと、窄(すぼ)めた日傘を足元の土に刺した。手を放すと倒れかかるのを、殺し損なった芋虫でも潰すように、神経質にまた刺す。日傘に引っかかった練玉の首飾りがクニャリと凹んだ。私は、お河童さんにした髪に半分かくれた女の蒼白い横顔を見た。ブラシの毛を植えたような睫毛と、心持ち上を向いた薄い鼻だ。女は、両肘で顎を支えて、茫然海を眺めている。沈黙ー。

 

「滑稽だ」、私は、呟いた。

「え、何?」、女は、支えた顔を素早くこっちに回転さした。私は、思い掛けなかったのでちょっとドギマギしながら煙草を吹いた。

「面白い犬を持っていますね」

「これ狸よ」、女は、ポンキンの頭に手を置いた。ポンキンは、ちょっと頭を凹ました。

「バリカンで刈ってやったの、こうするとライオンに見えるでしょう」

「成る程」

 

  二人は、また黙った。断崖の下を、波頭が走る音が遠い機関車の蒸気のようだ。

 

  私は、膝の上の本を見るともなしに広げた。

 

「それ何?」

弥次喜多

「面白いの?」

「つまらない」

「当たり前だわ」、女は、腹が立ったように言った。ジャケットのポケットから首を出した本を抜き出して、パラパラとページを繰ると、イライラした様子でまたポケットに捩じ込んだ。

 

「そんなもの芸術なもんか」、女は、独り言のように言った。

 

  私は黙っていた。(ナントきた八、今日はどっちの方へまごつくのだ)と、漫然と活字を眺めていた目の前に、女の指輪がキラリと光った。本は、私の手を放れて、海の方へケシ飛んだ。ハッとした私の眼玉がその行方を追った。白い放物線が、風で弓なりに反って海に消えた。

 

【喜多八とは、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する男の名前。「弥次喜多」は作中の主人公である弥次郎兵衛と喜多八の名を繋げた呼び名。】

 

  「面白いことね」と、女は、俯いたまま言った。ポンキンも、段々になった襟足を岸から突き出した。私は、その首を掴んだ。

 

「こいつ!」

「あ、いけない!」、女は、疳高(かんだか)い悲鳴を上げて、放り込もうとする私の手首を握った。油のないカサカサした生ぬるい手だ。冷たい指輪を、無気味に皮膚に感じた。私は、手を放した。

 

「ねえポンキンや」、女は、ポンキンを横抱きに、抱き上げた。ポンキンの五分刈りの背中から、枯れた艾(よもぎ)の花が零(こぼ)れた。ポンキンは、頓狂(とんきょう)な顔をして外方を向いた。

 

  私は驚いた。

 

 

  翌日である。快晴。

  昨日の女かと思ったら、丈の短い荒い紺飛白(こんがすり)を着た十七八の男であった。顔色の悪い小さな顔に、縁なしの分厚な近眼鏡をかけている。男の顔は、どうかすると眼鏡だけに見えた。

 

「洋服を着て犬を連れた女が来ませんでしたか」、男は、私を見下しながら、訊いた。

 

  私は、その横柄な調子と、眼玉だけで泳いでいる支那金魚のような様子を不快そうに眺めた。

 

「犬じゃない、狸でしょう」、グスグスになった駒下駄の鼻緒を、不恰好な足の指に挟んでいる。

 

「犬でさあ」、男は、無表情な顔で答えた。

 

「来ませんでしたか?」

「来ません」

「チョッ、困っちゃゥ」、彼は、舌打ちしてそこへしゃがんだ。

 

「その人がどうかしたんですか」、私は、ぶきっちょに発音した。

 

「捜しているんです。親父が急に悪くなったものだから」、男は、のろのろと答えて暫く黙っていたが、彼女(あれ)は、少し頭がいけないのだ、と付け加えた。

 

  女が、この町の何処かで、病気の親父と一緒に暮らしているという事実が妙な色彩で、私の頭に、入って来た。洋服を着て五分刈りの狸を愛している娘に対する心痛と憎悪で、親父も、母親も、支那金魚のような顔になってしまっているに相違ない。私は、恐ろしい馬鹿馬鹿しさを感じた。それに、イヤな腹立たしさが混同した。

 

「お父さんがお悪いなら、早く帰ったらいいでしょう」

 

男は、帰って行った。私は男の後姿を眺め、彼の踵(かかと)と下駄なぞを眺めた。

 

 

  夜、雨が降ったらしかった。蝕んだ枯葉や、栗の毬(いが)が落ちた小道が黒く湿っていた。赤の犬蓼の花が美しく濡れていた。

 

  女とポンキンが坐っている。

 

「今日は」と女は言った。私は、黙って、憂鬱な目で彼等を眺めた。

 

「昨日、あなたを捜してましたよ」

「どんなひと?」

支那金魚だ」、似ていると言おうとしたが止めにした。

 

「弟でしょう、必度(きっと)」

「お父さんはどうなんです?」

「今日お葬式」

 

  黙っていると女は、

 

「だって、ポンキンを一緒に連れてっちゃいけないと言うんだもの」と言った。

 

  ポンキンは、置物のように黙って何か考えている。

 

  狸の寿命を十年として、この女は、まづ自殺する事になるだろう、と私は考えた。

 

  三人は黙った。

 

「あなた、タゴールお好き」、女は、ポケットから一昨日の本を出した。私の脳髄は、女の言葉を反撥した。

 

タゴールってーー」、海は、燦然として静かであった。私は断崖の下で蝦(えび)を釣る蕈(きのこ)のような帽子を見た。

 

  女は、膝の上に屏風のように立てた本の上に顎を乗せて、「駄目ね」と言った。

 

「これ上げるからお読みなさい」、彼女は、本を私の膝の上に置いた。

 

「家にはまだ二冊あるからいいの」

 

  私は、本を広げて見た。ページが、方々切り抜いてある。余白だけ白く切り残されたページもある。

 

「こりゃどうしたんです」、私は、窓のように開いたページの穴に指を通してみせた。

 

「あ、そう、そう、いい処だけ切り抜いたの」、女は、子供の折紙のように畳んだ切り抜きを、ポケットから出して渡した。私は、本をポーンと、海に投げ込んだ。

 

「何するの」、女は、恐い顔をした。

 

「これがあれば構わない」、私は、切り抜きを女に見せた。

 

「ソオね」と女は頷いた。私は少しばかり切ない気持ちになった。

 

  今日は、波の音も響かない。

 

「あたし、気狂いに見えるでしょうか?」、突然、女は言った。後の小道を散歩していたポンキンが、女の膝の彼方側(むこうがわ)から首を出した。

 

「いいえ」

「嘘つき!」、女は、私を睨んだ。

「嘘なんかつきはしない」

 

  彼女は、私の視線を避けるように横を向くと、「でも皆んなが気狂い、気狂い、と言う」と小さい声で言った。暫くの間、女は何か早口に呟いていた。彼女の頰に、涙の線が光るのに気が付いた。私は、道に落ちた、真中の渋皮が雨に漂白された栗の毬に眼を転じた。

 

  その時、私の背後で、ポンキンがゴソゴソと音をさした。突然、女は、

 

「ポンキン、いけません!」と疳高い声を出した。見ると、キョトンとしたポンキンの前を、二尺ばかりのやまかがしが、音も無く動いていた。

 

  ポンキンは、それに何かしようとしたものらしい。女主人と狸とは、互いに睨み合った。私は、この瞬間、女の涙に光った、蒼白い、一所懸命な顔を、本当に美しいと思った。

 

  

  その後、女にもポンキンにも会わなかった。間もなく私は、東京に帰ってしまったから。

 

  ひと月程経った。既に冬が近付いていた。私は、またここへ来た。

 

  ある朝、私は、海岸を歩いていた。前の晩の嵐の名残りで、濁った海の面は、白い泡を吹いた三角波を、一面に作っていた。冷い、強い風を透して、黄色い壁の半島が慄えるように見えた。月のように白く浮き出した太陽の面を、黒雲の断片が、非常な速力で横切っていた。濱には濡れたセッターの尻尾のような褐色の海草が続いた。風の中を、鳥の群れがヘナヘナ歪みながら舞ったーー。

 

  私は、彼方から女とポンキンが歩いて来るのを見た。女は、黒の外套を着て、波の飛沫の白く漂う、簫索(しょうさく)とした海岸を俯きながら、妙な曲線を描いて近付いて来た。彼女は、目に立って痩せていた。死んだ魚を思わせた。女は、気が付かないらしく、下を向いて行き過ぎた。その後、毛を刈って貰えなかったらしく、ポンキンの襟足は、段々がぼやけて見えた。ポンキンは、私を見上げた。その目は、確かに、私の顔を認めていた。何か、秘密なものを見られたような気がした。

 

「ポンキン!」と背後(うしろ)で女が呼んだ。ポンキンは、女の跡を追って駆けた。私は、彼等を見送った。ポンキンは、一寸立ち止まり、振り返って私を見た。途端、その顔が笑ったように思われ、私は、顔を背けた。

 

  私は冷い風の中で慄えた。私の足は、力なく濡れたセッターの尻尾を踏んだ。

 

 

 

 

とりとめのない話

 

17時45分。僕は愛しい記憶を追いながら16番ゲートをくぐっていた。機体が見えないで、蛇腹の搭乗橋を渡るのは些か不安です。揺れるのですが、意識しなければ気に留めるまでもない揺れの程度なのでした。並べては、取るに足らないその揺れさえも、とりわけ、そのときの僕にとっては考えずにはいられない現象なのです。事は、考えはじめてしまうと手遅れなもので、意識を集注して隙を無くしてしまうまでしなくては、もはや脳内に浮上してしまっているその振動を外へと追いやることはできません。鎮痛剤の効いていたのが、ふと気を注げば、その効力の持続を絶ってしまっているかのような。また、目隠しが外れるのと途端に眩しく、目が上手く開いてくれないときのような。人間は平素から何かに騙されているのでなければ、正気でいられないのではないかしら。きっと僕等のような人間は、何か障害の影裏に隠れることでなんとか生きている。ひたすらに言葉と追いかけっこして、間延びしてしまっているこの時間を誤魔化していたり、僕等を蔽っているだろう「死の世界」の有り様を、その世界の怖ろしさを、「それはそれは美しい世界なのだ」と告げ回り、空の蓋の彼方へ締め出してしまう。合理的だとか、理性的だとか、そんな相貌をした言葉によってビカビカに飾り付けられた紙屑を机の上に散らかして、窓のガラスに貼り付けて、抽象的で触ることのできない部屋を貸りて日々をやり過ごしているのです。この空に張り詰まった恐怖や不安、この空を掻き乱す保存と破壊の欲求に駆られて、自らの意志で選択しているように振舞いながらも、透明ではなくなった恣意的なカーソルに選択肢を限定され、自身ガチガチに縮こまり、何かひとつを選ばずにはいられないということ。そんな言い方もできてしまうのではないか。実のところ、空の外の世界を信じる力だとか、空の下にあり、身の丈の一点のみにおいて、万感の思いで到来する様々の情景を見て取る力だとか、そんな或いは阿呆とも言われてしまうような摩訶不思議の力を、人間から抜き取り没収したらば、僕等はついに強欲の猿や、自ら暗礁に乗り上げ自殺する、メランコリックな鯨等と変わりないのかもしれない。

 

18時10分。クロワッサンの群れのような雲の階層を抜け、銀色の機体は虹色の宙に浮かんでいる。これが人々の憧れる「空の外の世界」か。と言えども、僕はまだ空を見上げることができます。そこに黒色の蓋がある。大きい中華鍋みたいなこの世界に、黒く涯のない蓋が被せられている。蓋は回転しながら徐々にスライドし、いよいよ暗闇を引き連れてき、虹色を侵食し始めている。

 

ああ、完全に閉じてしまう…。銀色に輝く無機質な鱗を光らせながら、魚は巨体を滑らせます。外へ…外へ…と泳ぐのです。蓋の隙から漏れ入る光のスペクトル。それは虹色にして、また異端の色ではあるので、僕はその幅の縮んでゆくのを見て、茫洋とした不安を感じるのでした。

 

光の対極に闇を定義するゲーテ。あなたは生の対極を死だと考えますか。天界に神を、地上に悪魔を描きますか。僕等はいつも「くもり」の中に、両極の融け合う干渉部にあり、どうやらその外の世界については、何ひとつ知れないらしいのです。

 

頭が痛かった。台風の影響で航路は安定しない。今、この水平はどの程度の高さなのか。そこにおいての気圧は、地上といかほどに変わっているのか。全く知れない僕ですが、ともかく血入り袋のこの身体には、内から破裂してしまいそうな力に、とても耐えられない変化があるのでした。あらかじめ服用していた鎮痛剤が神経を鈍らせます。次に目を開いた秒刻には、空は、蓋が真紅の隙を見せてあるのみなのでしょう。

 

19時5分。電燈は鎮められ、機体は下降を始めたようでした。着陸すべき福岡市内。見たい街明かりも厚い雲に遮られ、少しも見て取ることはできない。左前方に読書灯が点るが、その真下の乗客は寝息を立てている。

 

闇です。僕は努めて闇を凝視しました。飛び出しそうな眼玉をなんとか堪えながら、闇の奥を見つめている。ジェットエンジンを照らす橙の光。白く濁った雲の海に、不気味な貌を照らし出しています。充血しているのか、視界に紫の縞が這入り込み、顕微鏡で見た海洋プランクトンのような、赤くチカチカするものが夥しく這っています。するとその無数のプランクトンは、みるみるうちにジェットエンジンの大きな口に吸い込まれてしまいます。

 

あれはジンベエザメ…?いいえ、ここは海底二万海里。あれは息を潜めるメガマウスと見えます。プランクトンと見えていたのは、実は僕等の小さな霊魂なのかもしれない。白内障患者のような眼玉が蠕き、僕等の生命を平らげている。僕はそのとき、身体の記憶した映像が勝手に再生されているような感じがしていました。

 

19時15分。死の淵の地底を静かに破り、ようやく姿を現した街々の華やかな明かりは、熔け出したラヴァのように輝くのです。そこにはとても高価なルビーやサファイアだって溶け込んでいるに違いありません。それほどにこれは、美しい景色でした。

 

はたして僕は、生命の光を取り戻したのでしょう。「美」とは超越概念だと人は言います。確かにそうかもしれません。けれども、決して僕等は神を仰ぐように美を取り扱ってはいない。それは「大いなる犠牲」とも言われます。僕等は皆、「透明な器」のようなものです。僕等の問題とするところは、その容れ物に這入るものがどのような色彩であるか、どのような形態を取るのか、ということばかりでしょう。腹に据えられた宿命に対し、抗うにしろ甘受するにしろ、小さく賢い僕等は自分自身を「犠牲者」として世界の内に位置付ける。僕等は嘆くのです。

 

「ああ、汚されてしまった!」

 

ところが今日、僕は見たのでした。透明な器の入り口を。僕等はこの容れ物の内にて、僕等の生命が固有にしてあるところの色彩を発散させています。やがて器は黒く濁ってしまう。すると再びあの蓋が開かれる。圧力の差に任せて中身が飛び出すのです。それは熔岩のようには美しく。ギラギラとして輝いているに違いない。それを生命の力と呼ばないで、何と呼べばよいのでしょうか。生命の燃えるとき、それは烈火の如く燃えるのみであります。生命の眠るとき、それは氷河の如く蒼ざめるのです。死とは色彩の欠如であり、それは灰色にして、また白く濁ってはいる。またそれは僕等の底に静かに潜む、排水溝が如く深い闇の別名なのです。

 

19時30分。逃げるように降機した僕は、薬院大通のホテル群に向かうべく、地下鉄空港線の改札を通っていました。55分発の電車を待つ間、フライトの無事を彼女に連絡をしようと携帯を取り出します。すると僕は、電源を切ったスマートフォン画面の黒さに驚嘆するのでした。真夜中の空でもここまで黒くはありません。色彩の欠如としての黒と、色彩の飽和による黒。いったいどちらの黒がより黒いのでしょう。黒色と闇は別のものなのかもしれない。きっと黒は異世界へと繋がる色なのです。とするとそこに、数匹の赤い金魚が映る。いつか水族館で見たアートアクアリウムの金魚です。真っ赤なドレスを水中に漂わせて泳いでいる様はなんとも優美なもので、僕は幼い頃から、金魚という生き物に不思議な魅力を感じていました。時には畏怖の対象として見ている自分もいます。脳味噌のような形をして膨らみ、今にも破千切れてしまいそうなあの腹を見ていると、僕は気分が悪くなるのでした。おそらく僕は金魚を見て、自らの死を連想しているのだと思います。眼前をチラチラと游ぎ交う縮こまった赤い玉。飼っていた安価な金魚が死んだ時分には、母に水槽から掬って土に埋めるよう言いつけられたものです。しかし僕はその骸を手にした瞬間に、ある不可解な衝動に駆られ、静かにそいつを握り潰したのでした。赤い玉が破裂して臭い贓物が這い出てくる。その感触は今でもこの掌に鈍く残り、潰した後に訪れた黒い罪悪感と、母に秘匿の遊戯によるえもいわれぬ恍惚感は、脳味噌に消えない印象を刻み込んだことだろうと思います。僕は女と寝る時、不思議と金魚の印象を想起するのです。映像か、感触か、匂いか、どれだかわからないけれど、金魚の印象と接続されている官能がそこにはある。或いはまた、その遊戯の最中に心中へ訪れる様々の情感、また思想なりが、金魚の印象と何か関係があるからなのかもしれません。

 

女と寝るとき、僕は幸福でした。快感のため、官能の満足のために僕は幸福でした。そして、それらの要因よりも遥かに広大な幸福の種は、僕自身がここにあるという実感でありました。僕という存在はあるのです。疑る余地もない程に、僕という存在はありました。しかし、僕という存在を証明するものがないのでした。僕は苦しみます。苦しみが僕の存在を証明してくれますでしょうか。わかりません。苦しみのために、肌が痒いような気がしてきます。苦しみを消し去ろうとして、僕は爪を立てて僕を引っ掻きます。すると苦しみは痛みに変わります。血が流れます。痛みは苦しみよりも、僕の存在を現実のうちに浮き彫りにします。血は僕の身体が生成したものです。血の軌跡は僕の身体を這うものです。さて、このことで僕があるということは明かされるのでしょうか。僕は僕の形というものを認識しています。それは僕の身体の質量を知らしめてはくれますが、僕はまだ判然としません。僕という存在は、僕の身体があるということだけでは成り立っていないような気がするからです。そう、痛みは証明されても苦しみがわかりません。苦しみはどこにあるのか。悲しみはどこにあるのか。僕がどうしようもなく寂しく思ってしまう瞬間に、僕の輪郭は熔け出しているのです。僕の形は崩壊しているのです。それでも、僕の寂しさはそこにあります。心は脳味噌とは違うものです。僕の身体が、飲酒や性的絶頂による弛緩状態に陶酔するとき、心は普段にも増して緊張してしまいます。より一層寂しくなり、尋常ではない感傷的な気分に毒されてしまうのです。脳味噌には皺が刻まれていますが、心に傷は残りません。それは形のないものであるからして、誰であろうと、例え自分自身によってしても、形のないものには"触れることさえできない"のです。それゆえ、人間の存在は皆平等に、それが置かれている環境とは無関係に、生涯を通して孤独なのです。僕等は比喩的に、心が、「疼く」だとか、「傷む」だとか言うことができますが、それが形無いものである限り、そこに及ぶ外的損傷は有る筈がないのです。心はただ悩み苦しむだけです。孤独とは人の影なのです。忘れてしまっても人間の背後に付き纏うものなのです。そこで僕等は恋をします。互いに存在を認識し合うことで、存在の不安を恋の熱情のなかに隠してしまうのです。確かに、そこには熱があります。恋人と肌を合わせることで、僕等は自身の肌を感じます。恋人と話すことで、僕等は自身の言葉を感じているのです。それが僕等の作り出した幻想に過ぎないことは明確でしょうが、問題は別のところにあるのです。つまり、僕はあなたなしではもはや存在できないということ。あなたを失ったとしても、僕の身体は有り続けるかもしれない。しかし、そうなれば僕の身体は抜け殻のようになってしまうのです。透明な器から中身が失われた時、それは存在しない器と見分けがつかないのです。人間は虚しい。人生も虚しい。それでも僕は、もう嘆いたりしないのです。それは、僕を満たしてくれる存在が自明のものとしてあるからなのです。この世界に僕は存在するのです。あなたのおかげで。

 

月曜日の朝、スカートを切られた

 

 

めざめ。

 

シーツを四角に折ってベッドの端に揃える。クマのぬいぐるみとクジラの枕を並べ、スマホを充電から外すと、私は例のごとく部屋の写真を撮るのだ。

 

「おはよう」と手早くフリックし、画像を添付して送信する。どこに送っているのかわからない。だけど毎朝上げているこのちっともおもしろくない投稿で、私は見知らぬ誰かから数十もの、承認に似た何かを得られるのだった。

 

冷たいフローリングを踏みながらリビングへ向かう。

 

「今日からまた学校。🏫」

ーいってらっしゃい!

ー学校行くんだ偉いね

ーJKじゃん。制服みせて。

 

食卓には目玉焼きと食パンとメモ書き。「今日は早く出るからお弁当はどこかで買うか自分で作るかでよろしく!」マグカップに敷かれた千円札が水滴に滲んでいた。昨晩自分で洗った弁当箱、隅に米粒が乾いてカチカチになっている。私はそいつを無視して炊飯器から、てらてらと膨らんだご飯を濡らしたしゃもじで掬って、そうしてまるで自らの過失を隠すように白い粒々を詰めた。おかずは冷凍物を解凍するだけ。ハンバーグをレンチンしながら他を適当に見繕って弁当箱を埋める。蓋を閉じたまんまの弁当箱はあんまりみすぼらしいので、休みの間にハンズで買った可愛らしい風呂敷で包んでみた。写真を撮るほどのものではないかもしれない。

 

スマホをみると人に媚びるような顔をした電子情報が手作りのお弁当を自慢している。色彩に溢れているが美味しそうだとは思わない。彼女の作品を包むのは、ネット上で活動する若手画家の作り出した水彩の風呂敷。お弁当の熱でとろとろ溶け出しそうな色をしているのに、彼女はそれを個性、または自己表現、即ちオシャレだと思っているみたいで、満足気にそいつを包む。きっとその特別なお弁当は赤い鮮血の味がするに違いない。きっと彼女はその風呂敷を、生理用品か何かのように考えているに違いない。

 

ニュースのアプリを開く。トップの画面には普段あまり報じられないような、しかし確実に人の興味関心を惹く事件がずらり並べられてある。「公園に猫の変死体」と書かれた記事を開けば、金網に磔にされた猫の死体が近所の公園で見つかったことを知らせてくれる。

 

SNSで共有するという選択肢をタップし、「ここってウチの近所だ」というコメントを投稿すると、すぐに複数の反応があった。反応があることだけを確認すると満足で、それ以上は深入りしたくないと思う。どんな反応があるのかなんて知らなくてもいい。大方予想もつくものだから。

 

電車が時間通りに動くかわからないので、私ははやめに家を出た。よく晴れている。真っ青な空が眩しい。けれども暗いどんよりの陰湿な空気よりはいいと思った。イヤフォンを耳に詰めノイズを排除すると、空がくすくす笑っているような気がした。

 

スマホの画面が見づらい。そもそも外の光は強過ぎるのだ。月曜日の朝はみんなお揃いで憂鬱に沈んでいる。誰かが「月曜日は自殺率が高い」と呟き、絵の上手なアカウントが月曜日の陰鬱さを茶化して擬態するその技でもってニヤニヤしている。自分の描いた絵が、顔も知らない誰かに評価されているという事実が彼の余裕を生むらしいのだ。この人たちに今日のこの空を見せてあげたい。この人たちなんかはとても陰鬱とは言えないこの空に気付きもしないのだろう。

 

「いい天気!でも学校は怠い。」

ー頑張れ😉

ー一緒にサボろうか

ーねえ、制服みせて。

 

私は陽気な音楽が好きだ。この空にぴったりくる音が歩く躰を駆け巡る。スカートは翻る。自由を歌って翻る。言葉は先端を尖らせて私の躰と心の両方を突いている。きもちいい。

 

改札を通って駅のホームに着くと、普段より人が多い様子だった。イヤフォンを片耳だけ外して構内放送に耳を傾ける。人身事故により電車が遅れているらしい。機械みたいな男性の声が事務的に謝辞を述べている。謝られてもしょうがないと思う。いったい誰が悪いと言うのだろうか。飛び込んだ死人の崩れた躰に罪は背負えないし、駅員さんがそれによって人々に恨まれるなんて、そんな理屈は通らないだろう。学生はスマホに没頭し、スーツを着た真面目そうなサラリーマンがそれを横目に舌打ちをしている。興奮と倦怠の渦巻く駅構内。キラキラしたアイドルソングが不気味に響く。きっと何か間違えているのは、ここにいる私たち皆だ。悪いのはあなたでしょう。

 

「電車来ない…ネクタイだけ外したい。」

ー近所の公園ってここでしょ?👉

半蔵門線長い間止まってるみたいだよ

ー制服でネクタイ締める学校って珍しいよね?女子校?

ーJKがチヤホヤされて調子乗んなよ?

 

ムカムカしてくる。電車が来ないからではなく、この空気に胸が反発している。私は静かに息を止めて目を閉じてみる。私を暗闇に隠してしまう。すると、少しずつムカムカが静まってゆく。これが慣れなのだろうか。目を開けるとブレーキの軋む音を連れた電車が滑り込んできた。間の抜けた感じで扉が開き、ひとごみが一気になだれ込む。平坦だったアナウンスが苛立つ。人々は猪になって目的へと突進してゆく。私は学生鞄を胸に抱いて流されていた。暑い。息苦しい。はやく降りたいけれど私一人の力ではどうにもならない。自分の力でどうにもならないならば抵抗しないこと。それだけだ。

 

 

…それだけ?私はそれだけでいいの?

 

 

少しの冷めた猜疑心を引き連れて、私は満員の電車に引き摺られていった。

 

 

「月曜日の朝、スカートを切られた」

とケル。

 

五、「夜明は夢のうちに」

 

「日中から休みだったそうです。店主はどうにか蕎麦を一盛りずつ出してあげたいと…ただ蕎麦を打つ準備をしていないから無理なのだと言っていました…。」

 

先生は、かの薄闇の中から出てくる時分より続けて、いかにも「申し訳ありません」というような顔をして話している。先生こういうときだけ私の目をしっかり見つめるんだ。まったく狡猾だと思う。「その詐術は先生としてどうなんでしょうか」と頭の中で言い放ち、私はやにわに、「先生は初めから先生ではなかったのだ」と、そう気付いたのであった。「先生」という呼び名は、私が彼との距離を一手で縮めてしまいたいと願うあまり、ひとりでに私の口から飛び出したものであった。いま目の前にいる男性は、世に言われる「先生」のように、道徳規範を守り守り生きているわけではなく、私が想像する聖人君子のごとく、殊に高潔な思想を常日頃から実践しているわけでもない。そう例えばあの山羊のように、物陰に隠れて舌舐めずりしている獣が彼の心のどこかに潜んでいないとも言えないのだった。そう思うと先生が、それまで敬うべき山のような存在であった先生が、小さく小さく、私と同じくらいの、慕うべき仔犬のように感じられるようになった。

 

「困りました。この周辺で食事ができる場所を他に知りません。奈緒さんも帰らないといけないですし、バスの時間を考えるとあまり遠くにはいけませんね。」

 

「…あの、先生のご自宅はこの辺りですよね。」

 

「…はい。あと歩いて五分程度ですか。」

 

「私、ぜひ先生のご自宅に伺ってみたいです。」

 

「うちでは食事の余りさえもありませんが…」

 

「大丈夫です。お腹はなんにも欲しくないようなんです。」

 

実際に私のお腹は平気だった。そのときの私には食欲というものが、自分から遥か遠くにあるもののように思えていたのだ。兎に角も欲望というものは怖ろしい。普段にふにゃりとして確固たる何物も持てやしない私なんかは、絶対に触れてはいけないものだと思った。

 

「…私の家に…ですか。」

 

「はい。先生の家へは、何方に向えばいいのですか?」

 

「…あそこに見えているトンネルの向こうです。」

 

「そうですか。迷っていては時間がなくなってしまいます。先生、急ぎましょう。」

 

「…しかし、奈緒さん。」

 

急かす私に手を取られた先生は、つづいて迷子のこどもの様子であった。胸がざわつく。少し腹が立つ。

 

先生、何を躊躇う理由があるのでしょう。私にはそれがわかりません。わからないし、そこには何か賎しい意地汚い塊がとおせんぼをしているように思えます。私はそいつを打ち壊したく思うのです。

 

「さあ、行きます。」

 

「…。」

 

トンネルは真黒い山の腹を貫いてある。ナトリウムランプの橙が薄暮の頃を思わせる。大きく口を開けた夕暮を抜けた先には、きっと海が広がっているのだ。鴎が巣を作っているのだ。トンネルは蛇の腹の中。私はこの山に覆われた路を抜けなければならない。

 

「夜明は夢のうちに」

とケル。

 四、「山羊のツノ」

 

沈黙の中を、二つの影は進む。道に散らばる葉や土をざりざりと踏みしめながら、私は代わり映えのしない風景に飽きていた。とすれば足下から茶色いバッタは横へ跳ねて、先には不気味に漂うようなけもの道が続いている。突然、そこから何かが駆け寄ってくる。沈黙はやがてバラバラに壊れてしまう。

 

先生が拍子抜けに「おや?」と声を上げた。


「店灯りが、消えています…。」

先生の目線の向かった先を窺うと、この山中に目立って大きな一軒家が佇んでいた。すぐ隣に歩いてくるまで、その存在に気付かなかったことを不思議に思うくらいの立派な家屋だ。それほどに辺りは暗く、木々が歩道に飛び出すようにして視界を遮っていた。玄関口の戸に掛けられた「まあだだよ」との札が、バチバチと音を立てる青白い電灯に照らされていた。

奈緒さんは、少しここで待っていてください。」

 

ーはい。

 

「中に入って挨拶してきます。今日はもう店じまいしてしまったのかもしれないです。」

 

ーはい。

そう言って先生は引き戸を開け、薄暗い闇の中に消えていった。私は笑っていた。こんなに清々しい気持ちで笑ったのは久しぶりだ。声は出ていない。ただ肩が揺すれるような、胸の奥が沸き立つような、もくもくと込み上げる可笑しさに涙が溢れ出そうなくらいだった。お蕎麦、食べられないのだろうか。

 

ポツリ残されたこの躰、やりきれない。先生は少しいいかげんだ。私は息を吐いて大きな木目の覗くベンチに座った。足が痛いな。サンダルはえいっと蹴っ飛ばしてしまう。コートは寒くて手離せない。脚を折りたたんで、両腕でそれを抱いて、目の前の竹林を眺めてみた。猫がどこかで鳴いている。鈴虫の声は喧しく耳に残る。吹きつける風がきもちいい。

奈緒さん、口が開いてます。

自分で放り出すように言ってみたら、またくすくすと笑いがこみ上げてきた。可笑しい。先生って真面目なんだけど、やっぱりどこか間抜けな所もある。今度は顔がくっきり思い出せた。先生のあの目が好きだ。あの窪みに吸い込まれてしまったら、私はどうなっちゃうのだろう。そんなことは、今はどうでもいいような気もする。ふと、私も猫の真似っこして「にゃあにゃあ」と鳴いてみたいなと思った。鳴いてみないといけないような気さえするんだ。

すぅと息を吸い込んだ時、ふいに目の前の竹林がガサガサっと揺れた。密集した青白い竹の皮、何もいないように見える。けど、何かいる。

 

私は吐く息を忘れていた。

青黒い空白の隙間から、白く大きな物体がのそりと現れる様子を少しも見逃さなかった。胸の鼓動が指先まで伝わる。にゃあと鳴くかわりに「先生」と声が出た。

ー先生!…えっと、山羊がいます!

先生は何も答えてくれない。胴体を蛇のように揺らしながら、山羊はゆっくりと歩み寄ってくる。目が合ってしまっている。もう逸らしてはいけないような気がした。

 

ー先生!助けてください!

 

鈴虫の声が怯えたように、小さく、遠くに聴こえる。禍々しく伸びた山羊の角が、私と近づくにつれてしゅるしゅると成長しているように見えた。私はブワッと泣き出したくなった。イヤだ。怖い。怖いよぉ。先生、どうかこの泣きべそかいて縮こまっている私を見つけて、笑ってやってください。ここにいる子どもを宥めてください。

 

山羊は触れそうな距離に来た。目が爬虫類の目玉のように、青白く反射して光っている。何か咀嚼するように動く顎の隙間から、ぬめらんとした舌が赤々と這った。生きている。ホンモノの山羊だ。

 

私は死んだように固まっていた。

 

 

「山羊のツノ」

とケル。

 三、「暗夜行路」

 

電灯は五十メートルもの間隔を経てから、ぽつん、ぽつんと、ひとつずつ並んでいます。光は重なり合わずに、互い干渉しないような距離感でもってぼうっとしているのです。遮るものがなければ、光は間断なく綺麗な同心円を道端に落としてゆくのですね。虫がその流れを遡って、バチッと命を焚いたのを私は見ていました。

 

先生、山というものはこんなにも大きなものなのです。それに山は、闇と溶け合う性質(たち)のものらしいのです。鬱蒼とした枝々のさやぐ隙間から、空に大きな山の陰影が色濃く見えています。けれどもしかしたら、それは私たちの目が見ている幻なのかもしれませんね。そこに浮かんで見えるのは夜空より深いただの暗闇です。さすがの先生にも、あれは空の凹(ボコ)でなくて、地球の凸(デコ)なのだと明かすことはできないでしょう?

 

星空が夢に沈んだ枕の刺繍のようです。巨大な空白にも見えるあの暗闇は、夜空に浮かぶ惑星に描かれたクレーターなのでしょうか。このまま真っ直ぐに進んでしまえばいずれ先生と私、宇宙の真ん中にポイと放り出されてしまうのではないのかと思いました。

 

 「寒くはないですか?」

 

先生にそう言われてから冷たい空気が私の肌を掠める。遅れを取り戻すように慌てた毛穴が飛び出した。山の空気はひそひそと一層ごとに温度が変わってしまうのだった。

 

「上着を持って来たので貸してあげます。」

 

温かさと冷たさは私たちを横目に抜駆けして去ってしまう。先生の手の温度を確かめていたかった私は、咄嗟に「大丈夫です。」と嘘をついてしまった。

 

先生の影が深夜の公園に遊ぶブランコの影のようだ。先生が覗き込んで私の目を見る。いつもならば逃げるように目をそらすところを、静けさにキッとして堪え、私は先生の目を見つめ返してみる。目と目を見合わせていると、魂を抜き取られているような感じがしてやりきれなくなる。そのためか私は、これまで先生の横顔ばかりを見てきたような気がする。正面から見た人間の顔は目だけが浮き上がって見えて苦手だ。けれども不思議なことに、先生の顔から目が浮かんでくることはなかった。

 

「強がるもんじゃありませんよ」と言って先生は薄手のロングトレンチを私の肩にかけた。裾が地面すれすれを揺れる。これまでほのかに隣から香っていた匂いが私の躰を包み込んだ。男性の匂いは変な感じがする。嗅いでいて妙に安心するのはどうしてだろう。先生の匂いは特に好きかもしれない。煙草や香水の、人間らしくない匂いはちっともない。もっと動物のような、でも獣ではない匂い。革製のちょっとお高い紳士用バッグ?と、それは少し言い過ぎたかもしれないが、ともかく先生の匂いというものがあって、私は先生の匂いに包まれると、これまで嗅いでいた土と花と獣の匂いに混じ入ったような気分になって、どうしようもなく泣きたくなってしまうのだった。

 

あーあ、私は迷子なんだ。いつも場所を探している。私はどこにいたらいいのだろう。私は、私を固めて、縛って、触れて叩いて、そうして私の形を確かめてほしいだけなんだ。そこに私がいたのだとわかったら、そっと耳もとに囁いて教えてほしい。

 

「大丈夫、あなたはあなたです。確かにここにいるのです」と。

 

今度こそ私の方から先生の手を握り直す。そしたら先生の歩みが遅くなって、やっと二人が並ぶ形になった。

 

「せんせ。」「何か?」「…いえ。」というような漠然としたやり取りをいくつか交わしたような、また交わしていないような感じで黙々と歩いていると、先生が「暗夜行路」という小説の話を持ち出してきた。前に会った時分にも同じ話になったのに、私はその小説を今日まで読んでいなかった。どぎまぎとする返答をごまかすため、私は口数がめっきり減ってしまう。

 

「こうして暗い夜道を歩いていると、先生はあの小説のある一節を思い出します。」

 

そう言ってから先生は黙り込んだ。私は疎くてこれまで気付きもしなかったけど、先生が黙り込むときは何か返答が欲しいときなんだ。私は意を決した。

 

「どんな一節ですか?」

 

先生が意外そうに私の顔を見るので、私はムッとする。もったいぶらずにはやく答えてください。聞いてあげますから。とは言えない。先生はにっこりとして「はい、次のような言葉です。」と言って息を吸った。

 

「大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに。」

 

「はあ」

 

「それともうひとつ。」

 

「なんですか?」

 

「過去は過去として葬らしめよ、です。」

 

「なんというか、一休さんみたいですね。」

 

先生が楽しそうに笑った。私はいたって真面目なんだけども。笑ってくれたのでちょっと嬉しくなる。

 

先生はまた何か聞いてほしそうに黙っていたけれど、これ以上はダメだった。だって私はその小説を読んでいない。意味なんかわかりっこない。

 

沈黙も、この闇夜では自然なのだと、私は安堵した。

 

 

 

「暗夜行路」