倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

アイドルとフェミニズム

 

 

私はアイドルが好きです。最近はテレビをつけると、意識して探さずともAKBグループに所属しているメンバーの顔を見ることができます。みなさんとても可愛らしく、慣れない芸能の世界の中で、生きていくために一生懸命なのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがして、何がこの感情を生むのか以前から気になっておりました。

 

私は「可愛い」という言葉があまり好きではありません。言葉の主は無意識のうちにその対象を支配するような気分になるからです。「そんなことがあるもんか」と思うでしょうか?ところが言葉というものをよく考えてみますと、そんなことも、実はよくあることなのだと気付くのです。日本語は特に、多くは言葉より先にある意味を持っております。言葉の意味は時代と共に移ろうものでありますが、その言葉より先にある意味というのは普遍のものなのです。それは言葉が持つイメージのような形で、私たちの意識の裏に潜んでいます。「可愛い」という言葉に潜んでいるイメージは、封建的な関係性であり、主人が扶養を受けている者に抱く慕情のようなものではないでしょうか。実際、アイドルに対して支配的な態度を取っているアイドルオタクは多いように感じます。

 

つまり、アイドルの活動をみていて私が抱いていた感情は「可愛い」という言葉で表現されて妥当なものであり、未熟で守られるべき女の子が、芸能界というシビアな舞台で頑張っている様子に対し、まるで子煩悩な親の思いのようにお節介で、それでも抑えきれずに疼く愛情の一種であったのです。

 

そのような愛情は美しいものです。しかし、ひとはその愛情を失いたくないと願うあまり、対象を弱いままにして支配を続けようとしたり、また愛情を与えることに依存し、見返りを求めたりしてしまう。愛情はそのような変質を遂げた途端に腐臭を放つものでもあります。親にそのような歪んだ愛情を与えられた子が、ひとから与えられる愛情に対してトラウマを抱えてしまうなんてことも、頻繁にあることなのだと思います。

 

一方で、現代はフェミニズムが盛んに唱えられる時代です。欧米ではすっかり馴染んだ思想で、政治や思想界で頭角を現した女性が運動の象徴とされ、次第に盛り上がっていくというのが、この運動の自然な流れのようです。リベラリズムのうねりが知的な女性に及ぶと、これは必然として起こるものなのでしょう。日本で暮らしていても、女性の大半が大学に進学することを希望し、自ら進んで学ぶことを望んでいるのだと実感できます。

 

AKBグループはしばしば、そのようなフェミニズムの立場にある方から批判を受けるのです。十代の少女の人生をグループが縛るのは如何なものか、活動が忙しくてまともに勉強できないのは可哀想だ、等々。近頃で最も話題になったのはHKT48の 「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という楽曲でした。歌詞が女性蔑視ではないかと、方々から批判の声が上がったそうです。

 

それに対するアイドルオタクの反論といえば、大抵のところ「表現の自由」を掲げて撥ねつけるだけであったと思います。議論が起こったことは興味深いのですが、誰も正面から問題に立ち向かわず、ネット掲示板では「AKBなんて興味ないし」の一言で済まされる始末の悪さ。しかたないことであったのかもしれません。自由と自由が戦ったところで、何も解決にならないということは自明でありました。しかし、それで問題を手放して良いというものではありません。言うなれば、その「自明である」というところに、問題の本質があったのではないでしょうか。

  

私はフェミニズムという思想も、その根幹にあるリベラリズムという思想も、どちらも素晴らしい思想であると思います。皆がこの言葉を意識するようになれば、どれだけ住みやすくなるだろうかと空想してみることだってあるのです。しかし私が何かに縛られている他人に対して、「君は不自由だから一緒に自由になろう」とは言えません。これは他人の自由を拘束する行為であるからして、自由への欲求は自分の胸に秘めておくより他にないのです。

 

日本には「自由」という一語のみが存在しますが、英語には「リバティ」と「フリーダム」の二語が存在しています。このことをよく考えてみてください。

 

例えば、無人島に放り出されたイギリス人が、あらゆる拘束から解放されたことで手に入れた自由を叫ぶとします。彼はどのように叫ぶでしょうか?「フリーダム」と叫んでいる様子が想像できるのではありませんか?「リバティ」と叫ぶのはこの場合にそぐわない気がします。

 

日本人が小学校の道徳で学ぶ、「自由には責任が伴う」という文章の場合には、自由を「リバティ」と訳すのが適切ではないでしょうか。

 

つまり、「リバティ」とは社会の中で生きる人間に対し、率先して求めても良しとされた権利のことであり、「フリーダム」とはもっと本来的な、裸の状態の自由を指しているのです。したがって、リベラリズム(liberalism)から発展したフェミニズムとは、女性が社会進出をして活躍する権利、即ちリバティ(liberty)を主張する考えであり、フリーダムとは違います。

 

これに対し、「表現の自由」とか「言論の自由」という場合に使われている自由は「フリーダム」です。人間が生まれつき持っている自由であり、これはわざわざ声に出して主張するものではありません。「フリーダム」とは行動する自由なのです。他人が奪えるものではなく、抽象的なものであります。社会的な自由(リバティ)の権利を獲得して、どのように利用するかは各人の自由(フリーダム)であると言えます。

 

アイドルとフェミニズムの問題に戻って考えると、アイドルにも一般女性にも、勉強をして社会で働く自由(リバティ)があります。しかし、職業をどうするか、アイドルになるのかどうかは各人の自由(フリーダム)なのです。自由(リバティ)には責任が伴うため、責任能力が充分でない子どもの自由(リバティ)は一部制限されます。アイドルのオーディションを受けた女の子は自らの自由(フリーダム)によって、アイドルになる選択をしたのです。それによって自由(リバティ)を得る機会を損なうことがあっても、二つの自由に直接の関係はありません。

 

自由の問題が論じられるとき、しばしばこの二つの自由が戦っていることがあるのです。一方はリバティを尊重すべきだと言い、一方はフリーダムが欲しいと言っている。これでは議論に収拾がつきません。リバティに関する議論ならば、どこまでそれを認めるのかを話し合うべきです。フリーダムはそもそも議論するような問題ではありません。議論するにしても、その全貌を明らかにするための議論であり、どちらの自由が重要かという議論には踏み込めないのです。

 

自由を求める声を聞いて、嫌悪感を抱くことがあります。「自由を叫んでいる彼はいったい何を正義としてそれを主張しているのだろうか?」と感じるのです。彼が求めるものがフリーダムであれば、彼の正義は彼自身にあります。自分のフリーダムのために誰かのフリーダムを奪わんとしているのです。ひとのいない道を選んで歩く権利を持ちながら、人混みのなかで「フリーダム」と叫び、通行人を押しのけて歩いている。そんな横暴が許される理由がありません。声をあげる権利はフリーダムです。しかし、ひとが声をあげて求めても良い自由はリバティだけであったはずなのです。一般に青年が武器に取り、盾として構えているのはフリーダムである場合が多いと思います。フリーダムは精神的な自由であり、他人に干渉できるようなものではありません。

 

ここまで、自由がどうやら二つに分類できるらしいと話してきました。はたして、あなたが欲する自由はどちらの自由でしょうか?表現の世界には、本質的なフリーダム、精神の自由があります。同時に、他人のフリーダムを決して奪ってはいけません。もしもリバティを望むならば、そこに伴う義務と責任を自覚し、正当な手段を以て獲得すべきなのです。

 

フェミニズムを主張する立場にあるならば、同様に他の権利も尊重するべきではないでしょうか。人間の価値は勉強で得られる知識量で決まるものではないと思います。アインシュタインを知らなくても、ディアナ・アグロンの演技や歌から様々なことを学んで感性を磨くことは女性としての魅力を引き立てることであり、マイナスになることなんてないでしょう。活動をしながら勉学に励んでいるアイドルもたくさんいるのです。可愛さを磨いて素敵な男性と出会い、家族のために尽くす人生も、大学を卒業して自立し、同じように自立した男性と支え合っていく人生も、ひとが生きた道であることは変わりません。そこに客観的に見た差なんて存在しないのです。

 

また、ひとが本質的に自由だからと言って、好き勝手に自由を振り回しても良いとするのは、二つの自由の意味を混同した我儘としか言えないと思います。どんなに他人の表現に腹が立っても、それを規制する権利は誰にもないはずです。あなたはあなたの自由によって表現ができる。芸術の世界における自由の本質はたったそれだけなのです。

 

 

紫陽花

 

今日は一日雨でした。草木も黙る雨でした。

 

 

目が覚めても朝だとわからなかったわ。いつも日を反射して騒がしい白い壁も、今日ほどの雨だと憂鬱を隠せないみたい。黙り込んで灰色だったの。本当なら、起きたらすぐに支度をして、中島川の辺りを、眼鏡橋とその他の十五もある橋を使って、あっちに行っては、こっちに帰る、そんな散歩に出るつもりでしたのに、雨の音の迫力を聞いて、すぐに観念して布団にもぐってしまったわ。

 

雨の日はなんだか、気分は沈んで知恵ばかりが働くみたい。嫌だわ。寂しくてたまらなくなるもの。いくら冷静になって考えても、この寂しさだけは拭えないわ。外は雨で騒がしいはずなのに、いつも気に留めない部屋の静寂が際立って聞こえるのはなぜかしら。ここだけ時間が流れていないみたい。きっとみんな雨に流されてしまうのよ。

 

蛇は雨が好きなのかしら?わたしはこのシトシトが嫌いよ。ひとより肌が薄いのか、少しの刺激が耐えられないの。湿気が多いと、肌に下着がまとわりついて、わき起こる痒みにイライラしちゃう。流れる水は何より清いものだけど、溜まった水は何より汚れたものなのよ。

 

誰かがこの部屋を覗いたら驚いてしまうでしょう。そこで白い蛇と透明な水晶玉が戯れているのですから。いつだかあなたは言っていたわ。世界をこの目で見て廻りたいって。そんなの訳無いことよ。液体になって世界に溶けてしまえばいいのだわ。いらない着物は捨てましょう?流れる場所へ流れたらいいのです。自由なんて求めれば逃げていく幻想に過ぎない。いったい何に逆らうっていうの?あなたは自ら望んで、躰に縛られてるわ。

 

あなたは大蛇になって、いつか世界を呑み込みたいのね。けれど、そんなものはどうだっていい。どうだっていいから、どうかこの寂しい躰を呑み込んでくださらない?わたしがあなたに対して希うことなんて、たったそれだけなのに…。

 

 

 

 

現に見ゆるまで美しきは紫陽花なり。其の淺葱なる、淺みどりなる、薄き濃き紫なる、中には紅淡き紅つけたる、額といふとぞ。

 

玉簾の中もれ出でたらんばかりの女の俤、顏の色白きも衣の好みも、紫陽花の色に照榮えつ。蹴込の敷毛燃立つばかり、ひら〳〵と夕風に徜徉へる状よ、何處、いづこ、夕顏の宿やおとなふらん。

 

 

 

 

 

今日の紫陽花は、少し、赤いみたい。

 

わたしは未熟なの?

 

わたし、いつになったら大人になれるのかしら?何を済ませれば、大人になれるのかしら?そう思って、少女のままで生きてきたけれど、今日は少しだけ、大人の気分がわかった気がするわ。

 

美しさを追い求めて、いよいよ醜さを愛せるようになったらば、わたしはちょっとだけ、大人。

 

 

 

 

九月二十四日、奈々。

 

 

紫陽花

 

今朝は肌寒い秋風に起こされました。

 

わたしは秋の香りが好きです。淡い青色のカーテンを開けると、いつもの小川と野山の風景が、爽やかな風と一緒に舞い込みます。秋の景色は透き通った感じがありますわね。透き通った空気のおかげで、秋の香りはいっそう深みを増すのです。わたしのお部屋は二階ですから、風通しも良いし、見通しも良い。朝に窓を開けるのがささやかな楽しみになっています。空が青いって素敵。

 

今日から日記をつけることにしました。わたしの部屋には、机と本棚しかございませんが、真っ白い壁もおもしろくないので、いつか模写した紫陽花の絵を飾っておりますの。

 

雨のなかで、傘を片手に絵を描くのは大変でしたが、 その絵を描くのは、絶対に雨の日でないといけなかったのです。紫陽花という花はとても不思議な花。普通、花といえば、暖かい陽に照らされて生き生きとして輝くものでございます。だけど紫陽花は違いますわ。雨のなかでこそ、その輝きはいよいよ磨き上げられて、少ない陽の光をぜんぶ花びらの周りに集めてきたような、奇妙な美しさを纏ってしまいますの。

 

わたしはその妖艶な輝きを描くために、わざわざ雨の日に小さめのキャンバスをからって、隣の街の紫陽花が群生する公園の池まで、足を伸ばしたのですから、それほどにわたしは、紫陽花の美しさが好きなのです。

 

デッサンも描かずに、いきなり水彩の絵の具を取り出して色を塗ったので、少し形が歪んでしまいましたけれど、この味気ない部屋にあの妖しい光を灯してくれるその絵のことを、わたしはとても気に入っております。

 

この日記は、別段、誰かに読んでもらうために書いているわけではありません。といっても、自分で読み返すこともきっとないでしょう。読んだって恥ずかしくなってしまうだけだわ。

 

ここ長崎の古風な街で、お家のために尽くすのも悪くない人生です。わたしにはもったいないくらい。でもね、何も残さない毎日はなんだか虚しくなっちゃうから、先程、石丸文行堂で寄り道して、飾り気のない、それでもちょっと高価な日記帳と、HBの鉛筆を二本、買ってきて、今、この文章を書いているということなのです。

 

お兄さまが今度、長崎に帰ると言っていらしたわ。長崎の造船所に就職が決まったらしいの。長崎港を彩るあの船たちを造る仕事に就くなんて、とても素敵だと思う。お会いしてお酌をして差し上げるのが楽しみになってきた。

 

わたしの唯一の心配事は、弟の直也のことね。小説家になるとか言って東京へ向かったけれど、今頃どうしているのかしら。きっと寂しくて泣いているのでしょう。長崎に帰ってきたらわたしは歓迎するわ。添い寝してあげたっていいのに。「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますけれど、自身がどこの井戸にいるのかも知らない蛙は、どこに行っても変わらないのだと思う。男の人ってどうしていつもカタブツで、難しいことばかり考えなさるのに、そういう大切なことを忘れてしまうのかしら。

 

「君死にたまふことなかれ」

 

時代が変わっても、姉が弟を思う心は変わらないものなのね。 

 

 

風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間、小さな紅の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思つて
酷白な嘆息するのも幾たびであらう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。
それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛へ、
去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに、
厳かで、ゆたかで、それでゐて佗しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。

 

 

わたしはいつでも待っているわ。直也のことも、わたしがお慕い申し上げるあなたのことも。

 

九月二十二日、奈々。

 

 

ちえくらべ

 

 

さあ!

 

ちえくらべのはじまりだ

 

どっちがあたまのいいにんげんか

 

しろくろつけてやるよ

 

ルールなんてないさ

 

さいごにあたまをあげていたほうのかちさ

 

にんげんってのはあたまだけがでかいから

 

しもわからん

 

おともきけん

 

いろもみれん

 

かわいそうにちえくらべしかできない

 

それだけがにんげんのかちを

 

きめてくれるんだからしかたない

 

さあさあ!

 

チャンピオンにいどむゆうしゃはどこだ!?

 

チャンピオンはすごいぞ

 

つばをはくのがとくいだ

 

つばをかけられたがさいご

 

くさくてくさくてたってらんない

 

くちだけのやつさ!

 

おい!そこのめんたま!

 

どうだ?おまえならかてそうだ

 

おれはおまえにかけるぜ?

 

おまえにははながないからな

 

あいつのこうしゅうなんてへっちゃらさ

 

そのうちくちがかわいてこうさんする

 

それまでまってりゃいい

 

よし!やるきだな?

 

やってやれ!

 

…あれ?

 

ふたりともかわいてしんじまった

 

めだまのやつはまばたきもできないのか

 

まったく

 

まともなにんげんはどこだ?

 

いつからおんがくがなくなった?

 

いつからぶんがくがなくなった?

 

にんげんはあたまがいいはずだろう?

 

かがくはばんのうだとだれもがしんじた

 

ところが

 

しんぽがじつはたいほであった

 

あたまがおもくなりすぎて

 

だれもたっていられなくなった

 

かがくがぜんぶをしはいした

 

にんげんはからだをばらばらにされたんだ

 

のうがせかいをあやつって

 

からだはかちくあつかいだ

 

にんげんはさいごに

 

にんげんらしさをすてた

 

れきしをかえりみることもなく

 

てんたかくつまれたげいじつひんに

 

じぶんらしさをみうしなう

 

れきしにまなび

 

じぶんのいけんをいうと

 

ぜんぶさるまねだとわらわれた

 

おなじでないものなんて

 

どこにもなかったのに

 

なんにもつくれねぇやつが

 

どでかいあたまでつぶしにくる

 

ああいやだ

 

そうぞうのできる

 

ほんとうのにんげんはいなくなった

 

おれはさいごにいきたにんげん

 

おれはさいごにいきたにんげん

 

 

 

おれはさいごにしんだにんげん

 

 

 

「死に至る病」と言葉:2

 

 

私には同い年の従兄弟がいます。同じ高校で一緒に勉強してきた仲で、どんな友人よりも心を許せる関係であり、他の誰より打ち解け合っていると思っています。

 

彼の弟、同じく私の従兄弟とも言える男の子なのですが、彼も私たちと同じ高校で勉強と部活を頑張っていました。ところが、もうすぐその高校を辞めてしまうのです。彼は昔から病気がちで、学校を休むことが頻繁にありました。さらには、部活で足を怪我してしまい、歩くこともままならないということで、一時休学していたのです。しかし、高校の授業は彼に構わず進んでゆき、彼はすっかり周りに置いていかれる形になってしまいました。

 

足の怪我が快方に向かい出した頃、彼は再び学校に通い始めたのですが、腹痛を原因にして早退を繰り返すようになり、遂には全く学校に行けなくなってしまったのです。

 

理由は多様に考えられますが、彼の話を聞いたところ、いじめなんかは全く無かったそうで、主な原因となったのは、勉強の遅れからくるノイローゼだったようです。

 

そして、なぜだかわからないが人とまともに話せなくなったとも言っていました。以前から人見知りではありましたが、仲の良い友達の前では明るく振る舞うような子で、ここまでコミュニケーションに不安を感じているとは、彼の両親共に、いつも近くにいる私たちにも予想のできないことだったのです。

 

現在、彼は休学していますが、来年の春から通信制高校へ転校することが決まっています。

 

ある日、私は彼の母親から相談を受けました。どうやら、学校から解放されたことで家に引きこもるようになったそうで、どうにかして外に連れ出してほしい、という内容でありました。

 

私は夏休みに帰省している間、できるだけ彼と彼の兄(初めに紹介した同級生の従兄弟)と時間を過ごすようにして、海に行ったり、映画を観たり、彼が何かきっかけを掴めないものかと試行錯誤していたのです。

 

夏休みが終わりに近づいても、彼は私たち以外にあまり心を開きません。一ヶ月では無理だったかなぁ、なんて考えているころ、彼がある本を持って話しかけてきました。

 

「兄ちゃん、死に至る病ってなに?」

 

彼が持っていたのはキェルケゴールの「死に至る病」、私が「暇なら本でも読めば?」と言って渡したなかの一冊でした。読んでみたけどイマイチ意味がわからなかったようで、私に聞いてみようと思ってくれたのです。

 

死に至る病ってのは絶望のことだよ」

 

「それは書いてあったからわかる」

 

「じゃあなにが聞きたいの?」

 

「…キェルケゴールは、絶望を克服できたのかな?」

 

「さあね…。でも絶望を克服しようとしてその本を書いたんじゃない?…〇〇は弁証法って知ってる?」

 

 

 

…てな感じで、彼に少しだけ哲学を語りました。テーゼとアンチテーゼがあること、そこからジンテーゼが生まれること、キェルケゴールが絶望に対して、弁証法を用いて向かい合ったこと…。熱心に聞いてくれたのでとても楽しく時間が過ぎ、一通り話し終わった後に、彼は学校が嫌になった理由をポロポロとこぼし始めました。

 

「兄ちゃんたちは学校大変だった?」

 

「うん、毎日寝不足で大変だったね。〇〇も見てたでしょ?受験勉強ってのは誰がやっても大変だよ。」

 

「…見てた。俺も兄ちゃんたちみたいに勉強すれば、お母さんやお父さんも喜ぶかなって、同じ高校に入ったんだ。だけどスグに嫌になった。いつも兄ちゃんたちと比べられて、足を怪我したときも、お母さんは勉強しなさいってばっかり言ってきた。なんで勉強にしがみつかなきゃならないんだって思って、いつもお母さんに反抗してたんだ。」

 

「それで学校が嫌になったの?」

 

「…学校に戻ればまた普通に勉強できると思ってたら違ったんだ。教科書が新しいヤツに進んでいて、前の内容を理解していないと授業の意味もわからない。課題を出されてもわからないからいつも提出できなかったんだ。なんだか恥ずかしくなって、友達とも話せなくなっちゃったんだと思う。もうみんな自分のことなんて見てないんだって思うと、何にもやる気が起こらなくなった。」

 

「…なるほどね、それは逃避型の絶望じゃない?兄ちゃんたちみたいに勉強して大学に行くっていう理想から逃げてたんだね。そして途中から攻撃型に変わった。お母さんや病気のせいで勉強が出来なくなったんだと思うことで、自分の身を守っているんじゃないの?」

 

「…そうなのかな…。」

 

「んーまあ、それは自分で考えるしかないよね。もしも〇〇が絶望を乗り越えたいのなら、キェルケゴールの哲学と、彼の絶望に向かう姿勢は役に立つと思うよ。また聞きたいことがあったら話しにきていいから、待ってるよ。」

 

 「うん、おやすみ。」

 

その日からしばらくして、彼は机に座って勉強するようになりました。呑気なもので鼻歌なんか歌いながらですが、少しは前向きになれたのだと思います。

 

さて、前回の記事では「死に至る病」の内容を紹介しました。「死に至る病」を読んでから、私には絶望と言葉が深く関係を持っているのではないかと思えてなりません。なぜなら、絶望するためには言葉が必要であると考えるからです。

 

ひとは誰も心のなかに物語を描いています。「自分はこうなりたい」「こういう人間でありたい」という理想の尺度となる軸を持っているのです。当然、物語というくらいですから、言葉を知らないとこれは作れません。そしてこれは、ひとが意識して作ろうとしなくとも、ごく自然に、無意識の世界で描かれているものなのです。

 

絶望はどのようにして生まれるか。それはこの無意識に描かれていた軸が、何か外的な衝撃(トラウマ)や、その物語を根底から否定してしまうような他の物語、または言葉によって折れてしまったときに生じているのではないでしょうか。 私の従兄弟の場合、彼の兄と私のように勉強することが彼の物語でありました。物語の軸は家族の存在、お母さんや私たちからの承認であったのではないかと思うのです。しかし、私たちはそれぞれ独り立ちしてしまい側に居られず、怪我や病気で勉強が上手くいかなくなれば焦りを見せる母親、彼は完全に頼るべき軸を失っていたのです。今夏の間、私たちと過ごしたことで、また新しい軸と物語を作ること、もしくはその足がかりとなる土台を見つけることに成功したのならば、彼は心機一転、新たな舞台に乗り出すことができるのだと思います。

 

私の従兄弟の例をみていると、弁証法は絶望を克服する心の動きと似ていることがわかります。テーゼが初めに描いていた物語であり、そこに物語を否定するアンチテーゼが生まれる。その二つがぶつかり合うことで融合し、オリジナルストーリーとアンチストーリーのどちらでもなく、どちらの要素も含んでいるジンテーゼとして、新しいストーリーが生まれていく。まさに、弁証法が「死に至る病」を癒してくれているのです。弁証法は論理であるため、これも言葉がないと成り立ちません。

 

言葉を使って思いを伝える人間、言葉があるからこそ、喜怒哀楽が豊かになり、悩みも増えてしまいます。 ひとが我を忘れて怒りをあらわにするとき、私はひとの胸のうちに流れている言葉の存在を強く感じるのです。物語を描いて過ごしている私たちは、物語を否定する事物に敏感になります。例えば、学歴という物語を大切にしているひとは、学歴など意に介さない考えのひとを嫌います。性的な属性を物語に付属させているひとは、その反対となる属性を異常に嫌うのです。言葉の感性が豊かなひとほど、この傾向が顕著に現れるのだと思います。

 

 

現代に生きる人々は、物語を軽く扱いすぎではないでしょうか。物語が溢れているために、物語を批評することに慣れてしまったのでしょう。物語を批評するということは、ひとの心を捻じ曲げる行為となってしまうリスクを背負っているのです。胸に物語を意識的に持っているひとは、相手の物語も尊重するようになるでしょう。物語が無意識の世界に閉じ込められていれば、相手の物語が自分のそれとそぐわない場合には物語を踏み躙っても大丈夫だと安直に考えてしまいます。ひとの物語を否定するということは、そのひとの人格を丸ごと否定するということにもなりかねません。すべては物語が主人に放置されているから起こってしまうのです。

 

物語を意識するには、読むこと、書くこと、そして語ることです。外に出した自分の物語を客観的に観察しておけば、もし「死に至る病」を患ってしまったときにも、すばやく対応できるでしょう。些細なことでは動じなくなります。あなたの物語は、あなたを支える軸として躰を貫いているのです。他人が理解できないとしても、攻撃するより先に相手の物語を想像してみればよいのです。それが真に相手を理解するということでしょう。物語を読み取る力と、描き切る力は、対人関係を上手く保つことにも役立つのではないでしょうか。

 

 

あなたの物語を聞かせてください。 

 

 

 

 

 

物語

 

 

胸のなかで、何かが流れている。ぐるぐると回っているようで、またマグマのようにゆっくりと下降している。

 

物語という芸術の一形式がひとが言葉を話すようになってから現在まで、何度もその危機に晒されながら、あらゆる芸術の根底から逃げも隠れもしていないのは、疑いようのない事実である。

 

ひとが物語を作ったのか、物語がひとを人たらしめているのか。そのような議論をやってみても、その答えを証明してくれるものはどこにもない。ところが言葉というものの動きをよく観察してみると、どうやら意識の周りを飛び廻っている言葉がひとの感情と引き合い、融合してから脳漿の海に沈んでいくようだ。そうしてひとの無意識に沈殿してゆく。つまり、言葉はひとの感性の媒体として、私たちの内部に堆積しているのだ。

 

語彙というのは単語をどれだけ知っているかではない。言葉と感情の融合体がどれだけ無意識に沈んでいるかである。語彙が豊富になれば、それらがまた寄り集まって、次第にある道筋を作り始める。これが人間が生まれて初めて体験する「物語」と呼ぶべき創作ではないか。そして肉体の存在する時間のなかで、「私」はどこへ向かうべきか?という問いと共にその物語が大きくなっていくのだ。

 

ここまでの行為が、当人に意識されていることは少ない。日記をつけるだとか、誰かと対話するだとか、外部に出力することで人間は無意識から物語を引き揚げ、その軸を意識するようになる。その軸を強く意識すればするほどに弾性が失われていき、折れやすくなってしまう。しかし、全く意識されていない言葉と感情はどう動くのかわからない。どう動くのかわからないということは、ひとを不安にさせるであろう。不安でしかたない人々は、他の人が描いた物語を求めるようになるのである。他の軸を自分の軸に充てがうことで、その不安定性を解消しようとしているのだ。

 

このような物語の楽しみ方は不正であると言いたいのではない。物語にそのような力を求めても、人生の偶然性がそれを受け入れてくれるとは限らないと覚悟しておくべきだと言いたいのである。太宰治の刹那的な生き方に美しさを感じるのは結構だが、彼はきっとあなたを裏切るだろう。あなたはいつか彼を恨むことになる。太宰治の物語が現代で不思議な魅力を持ち、また多くの人に読まれているのは、人間の弱さを肯定する物語の軸の需要が高まっているからではないか。彼の自己愛と自意識が、若さのそれと強く引き合っているのである。

 

物語が一本の軸を描いたものであり、ひとの生活というものも同様に、無意識に作り出された一本の軸を基に成っていると知る読者は、決して他人の軸を己の軸と近づけようとはしないだろう。物語を読むということは、己の軸と、そこにある人物が作っていく軸とを比較したり、時には強く共鳴しながら、それを観察していくことである。もしも物語がひとの無意識に何か変革をもたらすのならば、軸は一度言葉に分解され、読者の意識の周りを飛び廻り、読者自身の感情によって捕らえられなければならない。その過程を飛び越して軸をそのまま貼り付けてしまえば、自分で作った軸の自由は固定され、曲げようにも曲げられず、動かせば徐々に歪な形になっていくのではないか。軸の弾性を失えば、ひとは怒り易くなるようだ。

 

フィクションが楽しめないという。フィクションが嫌なのではない。他人の軸を観察して何になると思っているのだ。そのとおりだ。他人の軸を観察して得られるものなどないだろう。彼はノンフィクションも楽しめないはずである。現実に起こったことであっても、他人の軸であることは変わらない。歴史はノンフィクションであるか。歴史とは、史実を基に人間が後から脚色、並び替えを行ったフィクションである。ノンフィクションとは何だ?つまらない日常のことだ。日常は偶然の連続であるか。非日常とは必然の連続であるか。要するに、フィクションと名が付いていようが、ノンフィクションと変わるところはそれが偶然であるか必然であるかの違いである。フィクションが楽しめない?単に必然性を嫌っているだけである。必然性の美しさを知らないだけである。

 

どうして必然性に嫌悪を抱くのだろうか。人生はそう上手くはいかないと知っているからだ。しかし、日常のなかにも必然はある。花がどうして美しいか。日が落ちていくのを見てひとは感動する。そこに、毎日裏切らずに訪れてくれる自然の必然性をみるからではないか。理想は叶わないものでないと気に食わないのか?叶わぬ理想を描く人間の悲哀を知っているのならば、その活動に囚われた人間の美しさを理解できるはずだ。嫉妬心は捨てよ。

 

 

人生の偶然性に心を折られ、芸術が描く必然が無価値にみえるならば、自分で世界を描き出してみることだ。必然を作り出すことの苦しみ、その尊さを実感するより他に道はない。美しさを知りたいならば、美しいものを前に据え置き、じっくりみつめることだ。本を読んでいても美に関する想像力は育たない。街に出るのだ。風の気まぐれを知ろう。空の寛大さを知ろう。海の恐ろしさを知ろう。花の儚さを知ろう。美はどこかに置いてあるのではない。各人の経験のなかに、無意識の言葉の海のなかに、静かに佇んでいるものだったはずだ。理屈の上に花は咲かない。堆積した土に種が落ち、水や養分を与えて花は咲くのである。批評が芸術への復讐へと成り下がったときに、花は枯れてしまうのではないだろうか。

 

 

「死に至る病」と言葉。

 

 

 

次の文章は、キェルケゴール著「死に至る病」の冒頭です。

 

「この病は死に至らず」(ヨハネ伝十一・四)。それにもかかわらずラザロは死んだ。

 

…一体人間的にいえば死はすべてのものの終わりである、ー 人間的にいえばただ生命がそこにある間だけ希望があるのである。けれどもキリスト教的な意味では死は決してすべてのものの終りではなく、それは一切であるものの内部におけるすなわち永遠の生命の内部における小さな一つの事件にすぎない。キリスト教的な意味では、単なる人間的な意味での生命におけるよりも無限に多くの希望が、死のうちに存するのである、ー この生命がその充実せる健康と活力のさなかにある場合に比してもそうである。

 

それ故にキリスト教的な意味では、死でさえも「死に至る病」ではない。いわんや地上的なこの世的な苦悩すなわち困窮・病気・悲惨・艱難・災厄・苦痛・煩悶・悲哀・痛恨と呼ばれるもののどれもそれではない。それらのものがどのように耐え難く苦痛に充ちたものであり、我々人間がいな苦悩者自身が「死ぬよりも苦しい」と訴える程であるとしても、それらすべてはー かりにそれらを病になぞらえるとしてー 決してキリスト教的な意味では死に至る病ではない。

 

キリスト教キリスト者に対して、一切の地上的なるもの、この世的なるものについて、更には死そのものについてさえもかくも超然たる考え方をすることを教える。人間が普通に不幸いな最大の災厄と呼んでいるものすべてをキリスト者がかくも誇らしげに眼下に見下すとき、彼は高慢にならざるをえないようにさえ思われる。だがそのときキリスト教は再び人間が人間としては知らない悲惨を発見したのである、ー 「死に至る病」がそれである。

 

キェルケゴールは、自身を抑圧的に育てた父親から明かされた罪によって、自分は神の呪いを受けているのだと自暴自棄になり、一時は頽廃的な生活を送っていたそうです。「死に至る病」を書いたのは、そんな絶望から弁証法的に抜け出した後のこと。つまり、彼が絶望を克服できたのは、弁証法によって新たな絶望、すなわち「死に至る病」を定義したことによるのです。

 

今回の記事では、「死に至る病 」とはいったいどういうものか。キェルケゴールの論理に則って、考えていきます。

 

先に弁証法を解説しますね。

 

弁証法とは哲学におけるひとつの論理形態のことです。ヘーゲルという哲学者が提唱しました。

 

論理形態といっても、難しい考えではありません。それは「変化の法則」とも言えます。ある物事が変化するときに、三つの階段を登るというものです。

 

一つ目の段階は、テーゼ(正、または自)です。ある物事の生まれたままの形、第一形態ということですね。

 

二つ目の段階では、テーゼ内部からある反抗分子が生まれます。これがアンチテーゼ(反)です。テーゼとアンチテーゼが互いに引き合い、ぶつかり合う状態と言えるでしょうか。

 

そして、三つ目の段階がジンテーゼ(合)です。テーゼとアンチテーゼが衝突して混ざり合った状態、正でも反でもない新しい形のことです。

 

ジンテーゼはまた内部からアンチテーゼを生み出し、対立していきます。これが弁証法です。つまりは対立から新しいものを生み出そうとする動きのことですね。ヘーゲルはこのような変化の繰り返しのおかげで、人間の精神や思想が発展してきたのだといいます。

 

キェルケゴールはこの弁証法によって、「絶望」という人間の心理状態を哲学します。結論から言うと、「死に至る病」とは絶望の弁証法によって生まれたジンテーゼ、新しい絶望の形なのです。

 

それでは、キェルケゴールの哲学に入ります。弁証法的に行くので、まずはテーゼとアンチテーゼを示しますね。

 

最初にテーゼとされる絶望は、「自己の本質を知らない絶望」です。

 

絶望の最も初歩的なもので、私がこれを一言で表すならば、「享楽的な絶望」と呼びます。誰にでも、この絶望と共鳴するところはあるのではないでしょうか?

 

世の中は、経済だとか、政治だとか、なんだか理解できないような仕組みで回っていますよね。芸術の前でも、才能という壁を厚く感じてしまいます。人間が自分の生きる道に迷ったとき、はじめにやってみるのは享楽に走ること、ではないでしょうか。

 

この絶望の裡にある人間は感性的な考え方に偏り、今さえ良ければいい、気持ち良ければいいと開き直ったような態度をとります。

 

こうした人間には主体性がなく、周りの空気、時代の潮流に流されるようになってしまうのです。

 

また、常に刺激がないと虚無感に苛まれてしまうので、何かに没頭して人生を傾けてしまったり、お酒やお薬の中毒になったりで、良い事はなさそうです。

 

ところが、この絶望にあるひとは、自分が絶望しているとは思っていないことが多いのです。

 

現代ならば殊更、刺激が溢れているために、そこに溺れることで絶望の意識は次第に無意識のうちに溶け込んでしまいます。

 

更に、この絶望の状態にある人間は、外からの影響で動かされているので責任能力を持ちません。何かを問い詰められても、自分は率先して関わってないから知らないと投げ出してしまうのです。

 

先行きの不明瞭な状態に絶望し、何に抗うこともなく支配に甘んじて生きていく。

 

耳の痛いあなたも、今は楽しいかもしれませんが、実は無意識で絶望しており、いつか心のバランスが崩れてしまうかもしれない、ということです。

 

さて、アンチテーゼを示します。それは「自己の本質を知っている絶望」です。

 

「自分とは何か?」という疑問に答えを見つけてはいるけれど、それが実現されないことで起こる絶望ですね。理想と現実のズレに、そしてそれがどうしようもないということに思い悩んでしまいます。

 

この「自己の本質を知っている絶望」をキェルケゴールは、更に二つに分類します。

 

その一つは、「自己の本質を知っているが、その本来的な自己になろうとしない絶望」です。

 

名前が長いとか言わないでください。

 

…しょうがないですね、短くします。

 

私がこの絶望を一言で表現するならば、「逃避型の絶望」と呼びます。

 

「はたして、描いた通りに自己を実現できるのか?そもそも、自分に自己を実現するほどの価値があるのか?」と考えて、自信を失ってしまった状態と言えます。

 

自己の選択する自由には、自己責任が伴いますね。その自己責任に対する恐怖心もあるのかもしれません。

 

しかし、逃げても逃げても、理想は脳裏にはりついてきます。どこまでも逃げ続けた結果、孤独に死を選ぶということにもなりかねない絶望の形です。

 

ではもう一つの絶望を、それは「自己の本質を知っているが、非本来的な自己になろうとする絶望」です。

 

はい、短くいきましょう。

 

これは「攻撃型の絶望」と言えそうです。これは自分の理想が叶わないことを他人のせいにして、責任転嫁をしてしまう絶望です。

 

自分は自己実現のために頑張っているのに、環境がそれを認めてくれなかったり、周囲の人が正当に評価を与えてくれていないと感じたりすると、「どうしてなんだ!」と憤ってしまいますよね。そうして、理想の自己の姿を湾曲させてしまいます。

 

捻じ曲がった自己を主張するくせに、その責任を求められると「自分をこうしてしまったのは自分以外の責任だ」と言い出し、その被害者意識からくる正当性を武器にして、周囲の人間を傷つけることに躊躇いがない状態です。とても危険な匂いがします。

 

さて、結局三つの絶望の形を知れました。ここから全く新しいジンテーゼを生み出します。

 

と、言いたいのですが、ジンテーゼとは、テーゼとアンチテーゼを示した時点ですでに見えてくるものなのです。

 

私もこの先にある絶望がどんなものであるか、はっきり理解しているわけではありませんので少し抽象的な言い方になりますが、ここまできて示さないわけにはいかないと思うので少し話しましょう。

 

先ずは、「自己の本質を知っていること」は前提条件として良さそうです。自己の本質を知った上で、それを実現しようと努力しなければなりません。

 

しかし、完全に実現できることなんて、なかなかないのだと思います。それでも、逃避せず、周囲を攻撃することなしに、立ち上がっていくしかない。これこそがジンテーゼとして表れた真の絶望、死に至る病なのかもしれません。

 

キェルケゴールはここに示したように、弁証法を用いてその思考を深めていきました。

 

私は更に考えを深めるために、ヘーゲル弁証法に立ち戻りたいと思います。弁証法が起こるためには、テーゼのうちからアンチテーゼが生まれなければなりません。

 

ヘーゲルによると、この分裂のエネルギーを生むものとは、人間の心に起きる「疎外」の感情であるそうです。

 

何か変だなぁ、何か違うなぁ、という感情のことです。

 

ある正しさの前で、人間はそいつへの敵意を無意識に感じています。その感情こそが、アンチテーゼを生み出すエネルギーとなるのです。

 

あなたが絶望するとき、きっと心のなかにこの感情が湧いているのでしょう。それを掬いとって、テーゼと対立させなければならない。

 

逃避や攻撃に転じるかもしれないその危うい感情を、自分自身の大切な感情として、正当に扱ってあげなければならないのです。

 

死に至る病」、その概要は伝わったでしょうか?絶望の前で私たちはどうすべきなのか、簡単にはわからない問題であるだけに、目を逸らしがちですよね。

 

キェルケゴールの哲学は、実存主義哲学に分類されます。いま、私たちがどうあるべきか?という問いに向かっていく哲学のことです。彼は弁証法を用いてこの問題に立ち向かいました。弁証法が起こるためには、自身の無意識を見つめて、疎外の感情を大切に扱わなければならない。

 

私はこの哲学に触れ、更に実践するためには、ここに関わる重要な因子として言葉があるのではないかと思いました。

 

「絶望にはいつも、言葉が伴っているのではないか」

 

次回の記事でその問題を考えていきたいと思っています。

 

長くなりましたね。最後まで読んでくれたことが嬉しいです。ありがとうございました。