倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

「死に至る病」と言葉:2

 

 

私には同い年の従兄弟がいます。同じ高校で一緒に勉強してきた仲で、どんな友人よりも心を許せる関係であり、他の誰より打ち解け合っていると思っています。

 

彼の弟、同じく私の従兄弟とも言える男の子なのですが、彼も私たちと同じ高校で勉強と部活を頑張っていました。ところが、もうすぐその高校を辞めてしまうのです。彼は昔から病気がちで、学校を休むことが頻繁にありました。さらには、部活で足を怪我してしまい、歩くこともままならないということで、一時休学していたのです。しかし、高校の授業は彼に構わず進んでゆき、彼はすっかり周りに置いていかれる形になってしまいました。

 

足の怪我が快方に向かい出した頃、彼は再び学校に通い始めたのですが、腹痛を原因にして早退を繰り返すようになり、遂には全く学校に行けなくなってしまったのです。

 

理由は多様に考えられますが、彼の話を聞いたところ、いじめなんかは全く無かったそうで、主な原因となったのは、勉強の遅れからくるノイローゼだったようです。

 

そして、なぜだかわからないが人とまともに話せなくなったとも言っていました。以前から人見知りではありましたが、仲の良い友達の前では明るく振る舞うような子で、ここまでコミュニケーションに不安を感じているとは、彼の両親共に、いつも近くにいる私たちにも予想のできないことだったのです。

 

現在、彼は休学していますが、来年の春から通信制高校へ転校することが決まっています。

 

ある日、私は彼の母親から相談を受けました。どうやら、学校から解放されたことで家に引きこもるようになったそうで、どうにかして外に連れ出してほしい、という内容でありました。

 

私は夏休みに帰省している間、できるだけ彼と彼の兄(初めに紹介した同級生の従兄弟)と時間を過ごすようにして、海に行ったり、映画を観たり、彼が何かきっかけを掴めないものかと試行錯誤していたのです。

 

夏休みが終わりに近づいても、彼は私たち以外にあまり心を開きません。一ヶ月では無理だったかなぁ、なんて考えているころ、彼がある本を持って話しかけてきました。

 

「兄ちゃん、死に至る病ってなに?」

 

彼が持っていたのはキェルケゴールの「死に至る病」、私が「暇なら本でも読めば?」と言って渡したなかの一冊でした。読んでみたけどイマイチ意味がわからなかったようで、私に聞いてみようと思ってくれたのです。

 

死に至る病ってのは絶望のことだよ」

 

「それは書いてあったからわかる」

 

「じゃあなにが聞きたいの?」

 

「…キェルケゴールは、絶望を克服できたのかな?」

 

「さあね…。でも絶望を克服しようとしてその本を書いたんじゃない?…〇〇は弁証法って知ってる?」

 

 

 

…てな感じで、彼に少しだけ哲学を語りました。テーゼとアンチテーゼがあること、そこからジンテーゼが生まれること、キェルケゴールが絶望に対して、弁証法を用いて向かい合ったこと…。熱心に聞いてくれたのでとても楽しく時間が過ぎ、一通り話し終わった後に、彼は学校が嫌になった理由をポロポロとこぼし始めました。

 

「兄ちゃんたちは学校大変だった?」

 

「うん、毎日寝不足で大変だったね。〇〇も見てたでしょ?受験勉強ってのは誰がやっても大変だよ。」

 

「…見てた。俺も兄ちゃんたちみたいに勉強すれば、お母さんやお父さんも喜ぶかなって、同じ高校に入ったんだ。だけどスグに嫌になった。いつも兄ちゃんたちと比べられて、足を怪我したときも、お母さんは勉強しなさいってばっかり言ってきた。なんで勉強にしがみつかなきゃならないんだって思って、いつもお母さんに反抗してたんだ。」

 

「それで学校が嫌になったの?」

 

「…学校に戻ればまた普通に勉強できると思ってたら違ったんだ。教科書が新しいヤツに進んでいて、前の内容を理解していないと授業の意味もわからない。課題を出されてもわからないからいつも提出できなかったんだ。なんだか恥ずかしくなって、友達とも話せなくなっちゃったんだと思う。もうみんな自分のことなんて見てないんだって思うと、何にもやる気が起こらなくなった。」

 

「…なるほどね、それは逃避型の絶望じゃない?兄ちゃんたちみたいに勉強して大学に行くっていう理想から逃げてたんだね。そして途中から攻撃型に変わった。お母さんや病気のせいで勉強が出来なくなったんだと思うことで、自分の身を守っているんじゃないの?」

 

「…そうなのかな…。」

 

「んーまあ、それは自分で考えるしかないよね。もしも〇〇が絶望を乗り越えたいのなら、キェルケゴールの哲学と、彼の絶望に向かう姿勢は役に立つと思うよ。また聞きたいことがあったら話しにきていいから、待ってるよ。」

 

 「うん、おやすみ。」

 

その日からしばらくして、彼は机に座って勉強するようになりました。呑気なもので鼻歌なんか歌いながらですが、少しは前向きになれたのだと思います。

 

さて、前回の記事では「死に至る病」の内容を紹介しました。「死に至る病」を読んでから、私には絶望と言葉が深く関係を持っているのではないかと思えてなりません。なぜなら、絶望するためには言葉が必要であると考えるからです。

 

ひとは誰も心のなかに物語を描いています。「自分はこうなりたい」「こういう人間でありたい」という理想の尺度となる軸を持っているのです。当然、物語というくらいですから、言葉を知らないとこれは作れません。そしてこれは、ひとが意識して作ろうとしなくとも、ごく自然に、無意識の世界で描かれているものなのです。

 

絶望はどのようにして生まれるか。それはこの無意識に描かれていた軸が、何か外的な衝撃(トラウマ)や、その物語を根底から否定してしまうような他の物語、または言葉によって折れてしまったときに生じているのではないでしょうか。 私の従兄弟の場合、彼の兄と私のように勉強することが彼の物語でありました。物語の軸は家族の存在、お母さんや私たちからの承認であったのではないかと思うのです。しかし、私たちはそれぞれ独り立ちしてしまい側に居られず、怪我や病気で勉強が上手くいかなくなれば焦りを見せる母親、彼は完全に頼るべき軸を失っていたのです。今夏の間、私たちと過ごしたことで、また新しい軸と物語を作ること、もしくはその足がかりとなる土台を見つけることに成功したのならば、彼は心機一転、新たな舞台に乗り出すことができるのだと思います。

 

私の従兄弟の例をみていると、弁証法は絶望を克服する心の動きと似ていることがわかります。テーゼが初めに描いていた物語であり、そこに物語を否定するアンチテーゼが生まれる。その二つがぶつかり合うことで融合し、オリジナルストーリーとアンチストーリーのどちらでもなく、どちらの要素も含んでいるジンテーゼとして、新しいストーリーが生まれていく。まさに、弁証法が「死に至る病」を癒してくれているのです。弁証法は論理であるため、これも言葉がないと成り立ちません。

 

言葉を使って思いを伝える人間、言葉があるからこそ、喜怒哀楽が豊かになり、悩みも増えてしまいます。 ひとが我を忘れて怒りをあらわにするとき、私はひとの胸のうちに流れている言葉の存在を強く感じるのです。物語を描いて過ごしている私たちは、物語を否定する事物に敏感になります。例えば、学歴という物語を大切にしているひとは、学歴など意に介さない考えのひとを嫌います。性的な属性を物語に付属させているひとは、その反対となる属性を異常に嫌うのです。言葉の感性が豊かなひとほど、この傾向が顕著に現れるのだと思います。

 

 

現代に生きる人々は、物語を軽く扱いすぎではないでしょうか。物語が溢れているために、物語を批評することに慣れてしまったのでしょう。物語を批評するということは、ひとの心を捻じ曲げる行為となってしまうリスクを背負っているのです。胸に物語を意識的に持っているひとは、相手の物語も尊重するようになるでしょう。物語が無意識の世界に閉じ込められていれば、相手の物語が自分のそれとそぐわない場合には物語を踏み躙っても大丈夫だと安直に考えてしまいます。ひとの物語を否定するということは、そのひとの人格を丸ごと否定するということにもなりかねません。すべては物語が主人に放置されているから起こってしまうのです。

 

物語を意識するには、読むこと、書くこと、そして語ることです。外に出した自分の物語を客観的に観察しておけば、もし「死に至る病」を患ってしまったときにも、すばやく対応できるでしょう。些細なことでは動じなくなります。あなたの物語は、あなたを支える軸として躰を貫いているのです。他人が理解できないとしても、攻撃するより先に相手の物語を想像してみればよいのです。それが真に相手を理解するということでしょう。物語を読み取る力と、描き切る力は、対人関係を上手く保つことにも役立つのではないでしょうか。

 

 

あなたの物語を聞かせてください。