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倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

紫陽花

 

 

あなたへ、

 

わたしはもう堪えられません。

 

あなたは、事ある毎にわたしへの愛を囁いてくれましたけれども、最期まで愛してると言いながら、結局わたしから離れていきましたわね。わたしも我儘な女ではありませんので、その理屈はよくわかるのです。わたしたちは性質が正反対で、その性質の違いから惹かれ合い、その性質の違いが故に同じ時を過ごしていられない。あなたは、あなたの見た空の青さを求めて、また、その青さを証明するために、大海へと船を出し、どこかへ行ってしまわれたのでしょう?

 

先日、素敵な話を本で読みましたの。赤色と青色の本にわけて描かれた昔の話。まだ日本に村がたくさんあった時代、ある地域の小さな村のなかに、棘人(しじん)と呼ばれていた人々が暮らしていたのですって。

 

体に生えた無数の棘のおかげで、仕事も満足に出来なければ、互いに体の温もりを感じることも出来ない。当然、健全な人間の体を持って、普通に暮らしている人々からは嫌われていたみたいです。

 

憎しみ争い合っていた人間と棘人は、互いの存在を認め合うために、棘刀式という儀式を始めました。これは人間が刀で、棘人の棘を切り落としてしまう儀式なのです。この儀式によって、人間と棘人の争いは無くなった。そんなような筋の話でした。

 

わたしは棘人に同情しております。おそらく棘人は、情熱の人間なのだと思います。証拠に、その血筋の者は赤色の着物を好んだと言うのですから。感情の激しい動きが、彼女たちの鼓動の主旋律なのです。感情の起伏が、棘として皮膚に表れているのです。棘は人との絆を切ってしまう。どんなに愛しいひとがいても、触れ合えば相手を傷つけてしまう。その苦悩、愛情への憧れ、孤独の裡に疼く寂寥、今にも弾け出しそうな感情の動きが、赤色の本に染み付いていました。静かに整えられた詩のような言葉の裡に、烈しい雨に打たれて涙する、棘人の立姿が浮かび上がってまいります。どうして、棘を切り取らなければならないのでしょう。棘人はどうしても、人間の世で生きていくことのできない運命にあるのですね。

 

外では雨が降っています。雫が空気を沈殿させて、しんと冷たい空気が心地よく、赤色の本の熱が、燃えて落ちゆく夕陽のように、わたしの掌の上に強く感じられる。わたし、涙が止まらなくなってしまって、この手紙を書き終えたら、火照って仕方のないこの胸を冷ますために、川沿いの駅まで散歩に出ようと思っておりますの。

 

川の流れる音を聴きながら、行き過ぎる電車を見ていると、あなたに会えるのではないかと思えてきます。それがたとえ、一時の幻想であったとしても、わたしの心はいちおう、落ち着いてくれるのです。

 

夏の間は川岸のところに紫陽花が群れて咲くのですよ。それはもう見事な眺めで、特に今日のように雨が降っていると、寂しさのなかでいよいよ強くなる愛情の波が寄せてくるかのごとく、その妖しい光を見せつけてくれますわ。

 

わたしはあなたが何処にいるのかも知らされていない。夜毎に風を撫で、篭のなかで次第に弱ってゆく羽を慰めている蝶々のことを、あなたは憐れだと思ったことがあるかしら。

 

紫陽花の毒を貰って、蝶々が死んでしまっても、きっと悲しむひとはいないのでしょうね。

 

 

 

いつか、また。

 

 

十月二十二日、奈々。