倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

月曜日の朝、スカートを切られた

 

 

めざめ。

 

シーツを四角に折ってベッドの端に揃える。クマのぬいぐるみとクジラの枕を並べ、スマホを充電から外すと、私は例のごとく部屋の写真を撮るのだ。

 

「おはよう」と手早くフリックし、画像を添付して送信する。どこに送っているのかわからない。だけど毎朝上げているこのちっともおもしろくない投稿で、私は見知らぬ誰かから数十もの、承認に似た何かを得られるのだった。

 

冷たいフローリングを踏みながらリビングへ向かう。

 

「今日からまた学校。🏫」

ーいってらっしゃい!

ー学校行くんだ偉いね

ーJKじゃん。制服みせて。

 

食卓には目玉焼きと食パンとメモ書き。「今日は早く出るからお弁当はどこかで買うか自分で作るかでよろしく!」マグカップに敷かれた千円札が水滴に滲んでいた。昨晩自分で洗った弁当箱、隅に米粒が乾いてカチカチになっている。私はそいつを無視して炊飯器から、てらてらと膨らんだご飯を濡らしたしゃもじで掬って、そうしてまるで自らの過失を隠すように白い粒々を詰めた。おかずは冷凍物を解凍するだけ。ハンバーグをレンチンしながら他を適当に見繕って弁当箱を埋める。蓋を閉じたまんまの弁当箱はあんまりみすぼらしいので、休みの間にハンズで買った可愛らしい風呂敷で包んでみた。写真を撮るほどのものではないかもしれない。

 

スマホをみると人に媚びるような顔をした電子情報が手作りのお弁当を自慢している。色彩に溢れているが美味しそうだとは思わない。彼女の作品を包むのは、ネット上で活動する若手画家の作り出した水彩の風呂敷。お弁当の熱でとろとろ溶け出しそうな色をしているのに、彼女はそれを個性、または自己表現、即ちオシャレだと思っているみたいで、満足気にそいつを包む。きっとその特別なお弁当は赤い鮮血の味がするに違いない。きっと彼女はその風呂敷を、生理用品か何かのように考えているに違いない。

 

ニュースのアプリを開く。トップの画面には普段あまり報じられないような、しかし確実に人の興味関心を惹く事件がずらり並べられてある。「公園に猫の変死体」と書かれた記事を開けば、金網に磔にされた猫の死体が近所の公園で見つかったことを知らせてくれる。

 

SNSで共有するという選択肢をタップし、「ここってウチの近所だ」というコメントを投稿すると、すぐに複数の反応があった。反応があることだけを確認すると満足で、それ以上は深入りしたくないと思う。どんな反応があるのかなんて知らなくてもいい。大方予想もつくものだから。

 

電車が時間通りに動くかわからないので、私ははやめに家を出た。よく晴れている。真っ青な空が眩しい。けれども暗いどんよりの陰湿な空気よりはいいと思った。イヤフォンを耳に詰めノイズを排除すると、空がくすくす笑っているような気がした。

 

スマホの画面が見づらい。そもそも外の光は強過ぎるのだ。月曜日の朝はみんなお揃いで憂鬱に沈んでいる。誰かが「月曜日は自殺率が高い」と呟き、絵の上手なアカウントが月曜日の陰鬱さを茶化して擬態するその技でもってニヤニヤしている。自分の描いた絵が、顔も知らない誰かに評価されているという事実が彼の余裕を生むらしいのだ。この人たちに今日のこの空を見せてあげたい。この人たちなんかはとても陰鬱とは言えないこの空に気付きもしないのだろう。

 

「いい天気!でも学校は怠い。」

ー頑張れ😉

ー一緒にサボろうか

ーねえ、制服みせて。

 

私は陽気な音楽が好きだ。この空にぴったりくる音が歩く躰を駆け巡る。スカートは翻る。自由を歌って翻る。言葉は先端を尖らせて私の躰と心の両方を突いている。きもちいい。

 

改札を通って駅のホームに着くと、普段より人が多い様子だった。イヤフォンを片耳だけ外して構内放送に耳を傾ける。人身事故により電車が遅れているらしい。機械みたいな男性の声が事務的に謝辞を述べている。謝られてもしょうがないと思う。いったい誰が悪いと言うのだろうか。飛び込んだ死人の崩れた躰に罪は背負えないし、駅員さんがそれによって人々に恨まれるなんて、そんな理屈は通らないだろう。学生はスマホに没頭し、スーツを着た真面目そうなサラリーマンがそれを横目に舌打ちをしている。興奮と倦怠の渦巻く駅構内。キラキラしたアイドルソングが不気味に響く。きっと何か間違えているのは、ここにいる私たち皆だ。悪いのはあなたでしょう。

 

「電車来ない…ネクタイだけ外したい。」

ー近所の公園ってここでしょ?👉

半蔵門線長い間止まってるみたいだよ

ー制服でネクタイ締める学校って珍しいよね?女子校?

ーJKがチヤホヤされて調子乗んなよ?

 

ムカムカしてくる。電車が来ないからではなく、この空気に胸が反発している。私は静かに息を止めて目を閉じてみる。私を暗闇に隠してしまう。すると、少しずつムカムカが静まってゆく。これが慣れなのだろうか。目を開けるとブレーキの軋む音を連れた電車が滑り込んできた。間の抜けた感じで扉が開き、ひとごみが一気になだれ込む。平坦だったアナウンスが苛立つ。人々は猪になって目的へと突進してゆく。私は学生鞄を胸に抱いて流されていた。暑い。息苦しい。はやく降りたいけれど私一人の力ではどうにもならない。自分の力でどうにもならないならば抵抗しないこと。それだけだ。

 

 

…それだけ?私はそれだけでいいの?

 

 

少しの冷めた猜疑心を引き連れて、私は満員の電車に引き摺られていった。

 

 

「月曜日の朝、スカートを切られた」