倦怠の勿忘草

“汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む”

紫陽花

 

 

堰を切ったように雨が降っております。

 

私は務めが終わって、自宅に最も近い駅のホームで雨宿りをしていました。古びた線路の隙間から、水の増した川が轟々と流れているのが見えています。雨の音なのか、川の流れる音なのか、神経を集中させなければ判別がつきません。月は厚い雲に呑まれ、明かりは遠くに並んで見える街灯と、チカチカと点滅して、気付けば暫く消えているような、頼りない電球のみでありました。

 

濡れていないことを確認し、緑色をしたプラスチック製のベンチに腰掛けて、身体中の力と、深く吸った息をいっぺんに放ります。錆の入った鉄骨の交差している頭上に時計がありました。見ると、針は九時を指しています。見渡しても人影はありません。コンクリートの隙間から生えた爆蘭が、少ない明かりを集めて、本物の線香花火を見せてくれているかのようでした。雨は勢いを強め、傘の無い私は細長い透明な箱の中に閉じ込めらた虫になって、黙っている他にやることが見つかりません。けれども、その異様な静けさはすぐに、私を妙な陶酔へと誘い込み、うつらうつらとして、身体は完全に油断の姿勢を見せてしまっていたのです。

 

ふと目が覚めると、向かいのホームに女性が一人佇んでいるではありませんか。少しギョッとして、霞んだ目に力を入れると、そこに現れたのはどうやら、見覚えのある立姿なのでした。

 

沈んだ赤色のコートを着ている彼女は、毎朝、出勤でこの駅を利用するときに見かけるあの女性です。私が電車に乗って去ってしまうまで、ずっと動かずに立っているので、よく覚えています。きっと、毎日同じ時刻の電車を利用していて、その電車は私が利用する電車よりも遅くこの駅にやってくるのでしょう。これまではそう思っていたのですが、こんな時間に、いつもと同じように立っている彼女を見ていると、実はずっと長い間、そこに立ったままなのではないかと思えてきました。

 

肩まである黒髪と、重い前髪の隙間から覗く丸くて大きな瞳が印象的です。常に俯き加減で、長い睫毛が微かに動いていました。この薄暗い空間に、昼間の光を取って貼ったかのように、白い肌がのっぺりと浮かんでいます。私は見惚れてしまっている自分に気付いて、無遠慮に到来する、この恍惚とした感覚に恥を覚えました。それにしても、彼女は寂しげにいったい何を見つめ、何を思っているのだろう。夜の海に光る石を投げて、淡い光の波紋が広がってくるかのような、そんな景色の美しさに、私の心はそこから一歩も動けなくなってしまったのです。

 

不意に、電車が雨の音の壁を破って、ホームにやって来ました。その音で我に返った私は、咄嗟に立ち上がり、冷え切った身体が、ぶるぶる震えていることを、ようやく自覚しています。電車が一時停車して、また雨の音の壁を破って、向こうへ走り去ってゆきました。向かいのホームに彼女の姿はありません。代わりに、彼女がいつも立っている場所の背面に、紫陽花の咲き乱れている様子が浮かび上がって見えたのです。

 

私は、幼い頃に姉から聞かされた紫陽花の話を思い出しておりました。紫陽花は、雨の日になるといっそう、その美しさを増します。これは、紫陽花の葉脈に流れている毒がそうさせているのだと言うのです。姉が言うには、紫陽花の赤色は毒の色だそうです。もともと青色の花の花脈に、人間の鼓動が血を送るかのように、時折、赤色をした毒が回ります。それで、紫陽花は紫色になったり、赤紫色になったりする。すぐに何の根拠もない話だとわかりましたが、姉は、そうでもないと雨の日の紫陽花の美しさが噓みたいになってしまうと言っていました。

 

冷静の青い流れの中に、少しの赤い波がある。ときに、何かのきっかけで、赤い波が大きくうねり、自分が自分でないような気分になって、興奮と寂しさを織り交ぜにした、静かな赤紫色の幻覚を見ることがある。

 

 

雨の降る静かな晩に見た風景は、紫陽花の美しさに毒されたこの身体が作り出した、幻想だったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

紫陽花

 

 

あなたへ、

 

わたしはもう堪えられません。

 

あなたは、事ある毎にわたしへの愛を囁いてくれましたけれども、最期まで愛してると言いながら、結局わたしから離れていきましたわね。わたしも我儘な女ではありませんので、その理屈はよくわかるのです。わたしたちは性質が正反対で、その性質の違いから惹かれ合い、その性質の違いが故に同じ時を過ごしていられない。あなたは、あなたの見た空の青さを求めて、また、その青さを証明するために、大海へと船を出し、どこかへ行ってしまわれたのでしょう?

 

先日、素敵な話を本で読みましたの。赤色と青色の本にわけて描かれた昔の話。まだ日本に村がたくさんあった時代、ある地域の小さな村のなかに、棘人(しじん)と呼ばれていた人々が暮らしていたのですって。

 

体に生えた無数の棘のおかげで、仕事も満足に出来なければ、互いに体の温もりを感じることも出来ない。当然、健全な人間の体を持って、普通に暮らしている人々からは嫌われていたみたいです。

 

憎しみ争い合っていた人間と棘人は、互いの存在を認め合うために、棘刀式という儀式を始めました。これは人間が刀で、棘人の棘を切り落としてしまう儀式なのです。この儀式によって、人間と棘人の争いは無くなった。そんなような筋の話でした。

 

わたしは棘人に同情しております。おそらく棘人は、情熱の人間なのだと思います。証拠に、その血筋の者は赤色の着物を好んだと言うのですから。感情の激しい動きが、彼女たちの鼓動の主旋律なのです。感情の起伏が、棘として皮膚に表れているのです。棘は人との絆を切ってしまう。どんなに愛しいひとがいても、触れ合えば相手を傷つけてしまう。その苦悩、愛情への憧れ、孤独の裡に疼く寂寥、今にも弾け出しそうな感情の動きが、赤色の本に染み付いていました。静かに整えられた詩のような言葉の裡に、烈しい雨に打たれて涙する、棘人の立姿が浮かび上がってまいります。どうして、棘を切り取らなければならないのでしょう。棘人はどうしても、人間の世で生きていくことのできない運命にあるのですね。

 

外では雨が降っています。雫が空気を沈殿させて、しんと冷たい空気が心地よく、赤色の本の熱が、燃えて落ちゆく夕陽のように、わたしの掌の上に強く感じられる。わたし、涙が止まらなくなってしまって、この手紙を書き終えたら、火照って仕方のないこの胸を冷ますために、川沿いの駅まで散歩に出ようと思っておりますの。

 

川の流れる音を聴きながら、行き過ぎる電車を見ていると、あなたに会えるのではないかと思えてきます。それがたとえ、一時の幻想であったとしても、わたしの心はいちおう、落ち着いてくれるのです。

 

夏の間は川岸のところに紫陽花が群れて咲くのですよ。それはもう見事な眺めで、特に今日のように雨が降っていると、寂しさのなかでいよいよ強くなる愛情の波が寄せてくるかのごとく、その妖しい光を見せつけてくれますわ。

 

わたしはあなたが何処にいるのかも知らされていない。夜毎に風を撫で、篭のなかで次第に弱ってゆく羽を慰めている蝶々のことを、あなたは憐れだと思ったことがあるかしら。

 

紫陽花の毒を貰って、蝶々が死んでしまっても、きっと悲しむひとはいないのでしょうね。

 

 

 

いつか、また。

 

 

十月二十二日、奈々。

 

 

写実の世界

 

 

私は絵を見るのが好きです。しかし、絵に感動して、いったい誰が描いたのだろうという興味から、その作者名を一瞬は憶えても、それが二日ともったことはないと思います。

 

絵を見た記憶はずっと残るのですが、そのときの感動と作者名は、日を追うごとに霞んでいくのです。あの感じはどうして消えてしまうのでしょうか。いつでもあのような感動が再生できたらば、人生も彩りを持ち始めるのでしょうが、そう上手くいかないからこそ、芸術の消費というのは虚しいのですね。

 

先日、ふと考えたのですが、ひとは絵を見てどのように感動するのでしょう?絵が語りかけてくるのか、絵の広げた世界に誘い込まれるのか、それとも単に絵が美しいからなのか。私は絵画に関する評論などはほとんど読んだことがありませんので、これはとても不思議な問題なのです。幻想的な絵が好きなひとの感動と、写実的な絵が好きなひとの感動は、どう違うのでしょうか?絵を描くひとは、どのようにモノを描けばよいのかよく知っているでしょう。では、画家はいったい何を描いているのでしょうか?小説家が文体を持つように、画家にも何かを描き出す技術があって、その技術を振るっていく中で、副次的なものとして世界が構成されていくのか、それとも、何かの美を確信して、そいつを描いてやろうと試行錯誤しているのか。どちらか一方であると言い切れる画家は少ないのかもしれない。けれど、芸術家を名乗る者ならば、そのくらい確固たる信念があっても良さそうだと思うのです。いや、無いと言うならば、彼はどうやって作品の世界観を定めているのか、私には判らなくなってしまう。そのように、基軸を失ってしまった作品、もしくは、基軸を敢て隠してしまった作品の前で、私は退屈してしまうのです。作品の奥に人間がいない。技術や理論で覆われていて、そこに生身の人間の温度が感じられない。それではいけないと思うのです。

 

ひとは頻繁に、「観」という字を使いたがります。「世界観」や「価値観」というように、なんだか哲学的な意味を含んでいそうな字ですが、素直にそれを受け取れば、「観」という字が示す事柄は、即ち「みること」であるとわかるでしょう。世界観というとき、私たちは世界を「観」ているのです。価値観と言えば、価値を「観」ているということになります。日本人はだれしも、「観音様」と聞いたことがあるでしょうが、正しくは、「観世音菩薩」と言い、歴史を辿ってゆけば、梵語の「アヴァローキテーシュヴァラ  ava(遍く)、lokita(見る)、īśvara(自在者)」という言葉にまで遡ることができます。西遊記で有名な三蔵法師はこれを「観自在菩薩」と訳しており、ここまで話せば、意味は解説せずとも理解できるでしょう。「自在」という言葉も仏教から生まれた言葉であり、心を煩悩から解放することで、何事も思うがままになしうる能力の事を言っております。つまりは、「観」という言葉は単に、そこにモノがあるというふうにみるだけでなく、ここに居ながら、世界を広く見渡すように、思うがままにみるということも含んでいるのだとわかります。

 

さて、「観」という字を知るために仏教に触れましたが、私は芸術の話がしたいのでした。芸術家と一口に言っても様々です。しかし、その根底ではみな観ているのではないでしょうか。芸術は先ず観ないことには始まらないのだと思うのです。私たちは芸術を観て、リアリズムがどうとか表現がどうとか言っていますが、感動の底には一様に、何かを観たという行為の経験が端然として横たわっているのです。書く、読む、聞く、見るというようにそれぞれに表現に至る技法を持っているものの、それら全て、物性の観察という行為を省略して存在することはできないのだと思います。

 

そこではじめに戻ります。芸術家として、最も純粋に観るという事を表現に昇華しているのは画家でありましょう。どれだけ有名な画家も、たとえ新進気鋭と呼び声の高い画家であっても、「絵を描く」という行為の動機は、眼前に現れた美の再構築であるのだと思います。そこに机がある。その上に林檎や空き瓶などの静物が置かれている。手前に自分があり、それを見ている。その見たままの心象を自らの手によってキャンバスに再現してみたい。そうやって試しに描いてみると、どうやら自分の見ていた景色は、必ずしも現実世界そのものではないと合点する。自分では見たままの物の姿を描き表したつもりだが、どうしたってそれは平面であるし、光を描き込めてはいない。そこで画家は対象を観ようとするのである。なるほど、光はこのように射し込んでいるか、光の表現は、絵に奥行きをもたらすか。そこに技法が生まれてくるのでしょう。つまり画家という人間は、見るという行為について尋常ではない創意工夫を凝らしてあるのであって、彼らの視力は一般に言うところの理論でもあり、思想でもありうるのです。さらに画家としては、絵を描くことなしに、この特殊に思えるような観法は語れないのでありますから、画家の美意識は即ち観ることであり、観ることは即ち美の創作でもあると言えるのでしょう。どうやら私たちは、「観」という言葉の扱い方に関して、画家の経験則の前に立ってみると、反省を迫られるようです。

 

絵画の世界では「写実」という言葉があります。観ること即ち美の創作であると言うべき画家の仲間内で、写実派だロマン派だと言い合うというのは奇妙な出来事であって、現実の姿というものを捉えようとする姿勢は貫道されていて当然である気がするのですが、とにかく、「写実」という言葉がまるで芸術における思想の一形態であるかのように語られているのです。ピカソの素描の腕を疑う者はありませんでしょう。しかし彼はひとつの平面であるキャンバスに多角的な視点を描こうとした。それは「キュビスム」と呼ばれ、現代では彼の起こした革新として知られていますが、彼が洗練された写実を打ち捨て、あの一見すると歪に見える絵を描かざるを得なかったのは、紛れもなく「写真」が登場したことの影響を受けているからなのでしょう。見たままを容易に写してしまう写真の力によって、画家が現実を写そうと試みるのは、絵を鑑賞して楽しむ者からみれば虚しい抗戦と映るようになってしまったのです。そうすると、これから芸術の世界に入り込んでいきたいと願う者は、入り組んだ表現技法の藪の中を彷徨う羽目になってしまう。私はシュールレアリズムをこのブログで取り上げましたが、その結論は、シュールレアリズムを超現実主義と訳して、彼らは決して幻想を適当に切り取って表現しているのではなく、真の表現は無意識の世界にあるものだという、ある特異な哲学の土台の上に立ち、あくまで、その異質な世界観を現実として写したものだという内容でありました。現代はこれまでに類をみない程に人間の知覚への不信感が高まっているのです。その不信感に至るまでの歴史を語れば、ひとつの物語では足りないのでありましょう。しかし、私含め若い世代は、初めから美術の教科書に溶けた時計が載っておりました。一度も知覚を信用した試しもない者が、いきなりこの不信感に曝されてしまえば、芸術とは個人の身勝手な欲望を奔放に晒しても許される世界であるのだという錯乱を起こしてしまうのも当然かもしれません。私たち若者の感覚では、観ることの重要性などという理屈は、表現の多様性の土壌に埋もれてしまっているのです。そんな空気の中で行き着くところは、何の分別もつけないと腹を決めてしまった破壊思想か、芸術なんてのは楽しければいいじゃないと居直り、無意味に明るく振舞うようになるか、そのどちらかであるように見えます。

 

ここまで、画家の視点から写実の世界を覗いた気分になっている私は、絵画の歴史を順序立てて学んだことはありませんし、絵を描いた経験は高校生の時に所属していた美術部で、油絵とデザインや抽象画を趣味程度に描いていたのみであります。そのため、文章が少々不遜な印象を帯びているのを自覚しております。そこで、ここから言葉の世界の写実を考えたいと思うのです。

 

調べてみると不思議なもので、文学と美術の動きは連動している部分があるのですね。例として、ダダイズムからシュールレアリズムへの変遷を取って文学の世界を見てみると、これは絵画の世界と同じように動いているのです。さて、言葉の役目と言えば情報の伝達でございます。その情報、知恵が纏まりを持つとそれは思想と言えるのですね。つまり、言葉の表現が他の表現より優れている点は、束ねられた思想の伝達という目的で使用されるときによく表れるのでしょう。しかし、小説なんかを読むと、ただ思想のみが箇条書きになっているわけではありません。物語であっても、エッセイであっても、その著者が見ている風景の描写のない作品なんてのは見つからないと思います。特段、詩というものになりますと、その描写という行為が殆どであるのです。夕陽を見て綺麗だと思った。写真家ならば、カメラを使ってそいつを切り取る。画家ならば、多少時間をかけてそいつを描く。執筆家ならば、言葉を使う意外に道はないのです。そこで、物を書くことと、観ることとの間に、彼らの苦悩が生じるのですね。写真のおかげで絵描きの写実が馬鹿らしくなったと言いましたが、言語表現による写実ならば尚更のことなのです。「どうして言葉に拘るのか?」と、言葉の表現に人生を賭けた人間に聞くのは野暮でしょう。

 

私は前回の記事で、詩ともエッセイとも取れないような駄文を書きましたが、あれは部屋に射し込む朝陽の美しさを切り取ろうと苦心した後に残ったラクガキであったのです。ある朝に目覚めると、風に揺れるカーテンの隙間から日が射しておりました。その感動をどうにか表現として捉えようとしたのです。私は考えました。絵や写真の表現に劣らないようにするには、言葉は何をしたら良いだろうか?

 

その結論は二つ、空間と時間を並行させた描写と、そこに感動がどうして起こったのか、という思想を埋め込むことです。私がひとりで暮らしている部屋には、漆塗りの棚などありません。あれは小さい頃に祖父母の家で見た風景を再起させていたのです。紫の花が描かれたカーテンと、祖父母の家の庭に自生していたデュランタの花を重ねて思い出し、光の粒がカーテンの隙間を縫ってサラサラと流れてくる様子をデュランタの花の間になった黄色い実というイメージとして表現していたのです。ちょうど九州に台風が接近しているというニュースを耳にしました。幼い頃は台風が素直に怖かったという記憶、そして今は時間が絶えず流れていってしまうことに対する恐怖、どちらの恐怖も、実は変わらず胸に根を張った恐怖ではなかったか。解説してしまえばつまらない物です。自分の表現であるから好き勝手に解剖してみましたが、言葉の世界で写実と言うと、このようにあれこれ苦心を払わなければならないのだとわかりました。やはり、詩人というのは凄まじい人種だと思います。

 

詩人が物を観るということは、画家が物への異常な愛着を以って観察するのに似た、尋常ならない観察があるのだと思うのです。言葉によって物を見る、もしくは、言葉自体を見るのでありますから、彼らはおそらく、人間の無意識、心象風景の裡に置かれた対象を観ているのですね。そうなれば、シュールレアリズムという思想だって、案外目新しいものでもないのかもしれない。

 

「写実の世界」などと大袈裟な題を立て、話をだらだらと続けてまいりました。要は、芸術的に世界を眺めるということが、どのように面白いことなのかを伝えたかったのです。趣味として芸術を鑑賞するなかにも、このような楽しみはあるはずなのです。みんな、わかり易い芸術を偉そうに批評する裏で、わかり難い芸術の前では、これは「言葉にできない」なんてつまらない言語表現だけで片付けてしまっていないでしょうか。芸術とはそもそも、その「言葉にできない」感動をどう扱うかという問題の上に立っているのだと思います。その情熱から人間は、単に見るのではなくて、真に「観ること」を始めるのです。言葉にならぬ不思議な対象を捕まえてやろうとして、画家は筆を持つし、小説家は文体を持つのです。そこに立ち現れるのは、言葉にしてしまえば感動が萎えてしまうのではないか、という恐怖であります。言葉にしてしまえば、対象が崩れてしまうのではないか、という恐怖なのです。その壁を超えなければ、表現の道は見えないのでしょう。その壁を幾度となく越えてゆくのが、表現の道というものではありませんでしょうか。

 

 

朝日の報せ

 

 

悪い夢をみていた。

 

秋空が朝日で焼けている。カーテンの隙間から覗く橙の光が、漆の剥げた古い木製の棚に射し、目玉のような木目の模様を、ぼんやりとした空気の中に浮かべていた。

 

ぼくは悪夢を覗かれたような気分になって、咄嗟にそいつを睨み返したが、目玉の方はお前など見えていないとでも言いたげに遠くを眺めている。

 

空気の張り詰めた音で、誰もいないことに気付かされた。ぼくは相手にされなかった視線の行方を捜して、光の筋に沿って流れている埃の脈を追う。冷たい朝だ。

 

晴れ渡り、叫びの衝動を掻き立てる空。手を伸ばすと遠ざかってゆくこの青空は、きっと地上の世界に独りの寂しさを知らしめているのである。

 

これは、空が遠ざかっているのではない。実はこちらの方で、その透き通った蓋の存在に怖れをなし、追い立てられたように逃げ出してしまうのだ。

 

乾風が吹いて、庭に咲いたデュランタの花と、その花弁の色との調和を乱す、下品な黄土色の実とが、互いに迷惑そうな感じで揺れている。足下にできた紫色の渦が、ぼくの躰を浮かせ、惜別の表情を見せながら過ぎていった。

 

おそらく今年最後となるであろう大型の台風が、どこか南の海で発生したらしい。最後の台風が過ぎたら秋がくるのだろう。

 

今日はどこへ行こうか。

 

明日はどこからやってくるのだろうか。

 

今朝の恐怖は、まだぼくの胸で沈黙している。

 

 

自己中

 

小学生の頃だったか、「ジコチュー」という言葉が流行っていたという記憶がある。ジコチュージコチュー、お前はジコチューだ、あいつはジコチューだと、みんなが喧しいくらいに言っていた記憶である。私は精神面の成長が遅かったようで、小学生の頃の記憶は曖昧であるし、言葉というものが強く意識されてはいなかった。なので、「ジコチュー」という言葉がどのような意味であるかなど知る由もなく、私はその言葉に対して、どうやらひとを罵倒するために使われているようだと、ただそれだけの認識を持っていたのである。

 

私はその言葉を憎むべきだと思った。なるだけ使うことを避けるべきなんだと考え、「ジコチュー」という言葉を厭悪していた。

 

私は多分、高校に入るまで単なる阿呆だったのではないだろうか。痛そうだから格闘技が嫌いで、長崎の平和教育のおかげで、戦争も大嫌いだった。「原爆」という言葉は私の吐き気を催し、爆心地の近くを通るだけで熱を出したこともある。当時の私の世界には纏まりがなく、私は世界という枠組みさえ知らなかったのだと思う。爆弾なんて落ちてくるわけがないのに、飛行機の音を聞けば、その恐ろしさに身震いがして、脂汗が出てくる。随分と心の忙しい毎日であったと私は少年時代を振り返る。

 

話は逸れたが、要するに私は馬鹿で、「ジコチュー」とはひとにイヤな思いをさせる言葉であり、「ジコチュー」なひとは即ち悪いひとなのだから、嫌われて当然であるのだと思っていた。

 

高校に入り、本を読むようになって世界が纏まりを持ち始めると、「ジコチュー」は「自己中」という言葉に当てはめられ、「自己中心的な性格」を略している言葉なのだと知った。そうして、必ずしもその性質が人間を悪くするのではないということに気付いた私は、それまでの自分、世界が暗闇の中にあった頃の自分の性質こそが、その言葉が表す悪い側面のものであったのだと知り、これまでどれだけの恥を晒して生きてきたのだろうかと悩みを持ったのだ。

 

自己中心的な性格はなぜいけないのか。答えはひとに嫌われるからである。ひとに嫌われることを厭わないならば、自己中心的な性格であることに何か悪いことがあるだろうか。最近まではそれが思い付かないで、自己中心的な性格も良いものだと思っていた。実際、ひとの目を気にせず、ジコチューでいれば楽であるし、芸術の世界ではジコチューであることがむしろ良いことであるかのように扱われている。

 

言ってしまえば、人間は世界を自己中心的にしか認識できないのであり、表現をする人間というのは必然的にジコチューになってしまうのだ。高校の友人は、それまでの友人より頭の良いひとばかりであったが、それだけジコチューなひとも多かった。自分の意志で決断がきちんと出来る人間は自己中心的な性格になりやすいのである。また、一般に言われている「頭が良い」という人間の性質は、物事を単純化して考えることが得意であるということがその十分条件であるらしく、そのような思考回路を持っているひとは、人間関係も単純化して考える傾向にあり、それは即ち自己中心的な人間関係を頭の中で組み立てているということであった。しかし私も理系の人間で、人間関係なんて面倒だと思っていたので、互いに面倒な相手として割り切ってしまっている殺伐とした関係性の方が心地良かったのだ。いや、この場合は「都合が良かった」と言うほうがしっくりくる。

 

そのような高校生活を送った私も大学生になり、比較的古い文学を読むようになった。特に戦前から戦後にかけて、日本が劇的に変わらざるを得なかった時代に生き、渦潮のような混沌を鋭敏に感じ取って表現した文学者の言葉は、鋭く重厚な感じがある。

 

その時代の文学がなぜ魅力的であるのか、それを一言で表すことは出来ないのだが、ここでは、古来の日本的な思想とアメリカから輸入された先進的な思想が衝突し、烈しく火花が飛んでいるような感じだと言ってみる。西洋哲学の膨大な歴史を一身に受けながら、彼らの躰に染みついた日本の思想がバネのように反抗しているのだ。

 

日本に自己中心的な性格の人間が増えたのは、専ら戦後になってからの風潮であると言って差し支えないであろう。西洋文化が黒船来航によってなだれ込んでくるまで、日本人は人間関係を大切にしてきた民族である。井原西鶴の書いた物語などを読んでいると、江戸時代の日本人がどのような共同体を形成し、「村」というコンパクトな社会がいかに活気づいていたのかよく分かる。人間関係は自然と一体であり、都市と農村の商売上の利害一致が見事であるのだ。

 

かつての日本が独自の社会を形成し、一見すると現代より合理的であるような仕組みを作れたのはなぜだろうか?そこには、昔の日本人に根付いていた「無明」という感覚が関係しているように思われる。それは仏教の言葉であるが、日本人がその詳細を理解していたのかどうかはともかく、「無明」であるということは、いけないことだという認識は持っていたのではないか。「無明」とはつまり、世界が暗闇の中にあるということだ。自我と世界との境がはっきり区別されずに、ぼんやりとした認識しかできないことを言う。そして、「自己中心的な性格」の自己のことを仏教では「小我」という。ひとはこの小我によって世界を知覚して行為するのであるが、仏教ではその自己中心的な行為を「無明」であるとして、それでは困ると言っているのだ。

 

敗戦した日本が、米国と共に掲げた日本国憲法には「個人の尊厳」ということが繰り返し強調されているが、これは仏教の観点から見ると、「小我」というものが存在するという誤った認識に基づいた思想ではないだろうか。「個人主義」の「個人」とは何だ?自由を見境なく求める我儘な自我のことであるか?それならば、私はこれに賛同できない。

 

芸術家は個性を大切に扱うが、昭和の頃の日本の芸術家は小我と個性の違いを弁えているように感じる。そしてヨーロッパの思想も既にこの区別が済んでいるようだ。もしかすると、現代でこの違いに困惑しているのはアメリカと日本くらいではないか。個人主義自由主義だと言って、最も優先されているのは個性ではなく国の利益である。功利主義的な思想によってムリヤリ切り分けられた「個人」は、その重みに耐え切れず潰れ始めているではないか。

 

素直に世界を見つめれば分かるはずである。自我など存在していない。目の前にある木と、私たち人間の躰の違いは何だ?科学的に詳細な分類を抜きにすれば、どちらも原子や分子の集合体であろう。そこで疑問を持つべきなのだ。「私」とはいったい何者であるのか?その問いは「心」という概念を要求する。そのときに、デカルトならばこう言うのである。

 

「我思う、故に我あり」

 

この電撃に打たれた者は、仏教的にも正しい個を意識するようになる。私たちは躰があるから孤立しているように見えるが、実はそうではない。躰は個人の本質ではなく、もっと他に「私」という存在を確立している何かがあるはずなのだ。ひとによっては、「私」など無いと悟る者もいるだろう。あなたはどこにいる?自然の中、複雑な人間関係の中にあって初めて、あなたは「あなた」を認識し得るのではないか?世界は思っているよりも広いものである。

 

幼年期から青年期までの私は「無明」であった。今もそうなのかもしれない。しかし、以前よりは世界を正しく認識しているはずである。私の場合はその仕事の殆どを言葉が担ってくれているのだ。認識の仕方はひとによるのであろう。大切なのはそこに小我による認識を挟まないことである。即ち嘘はつくな、世界と自己の認識と表現に誠実であれ、ということである。この認識の方向に、日本的な美が存在しているような感じがする。

 

自由と自己について、今一度考え直してみることも大切であるのではないか。キリストも言っている。

 

「人の子は罪の子である」

 

人の子も放っておけば罪を犯す。個人主義の本来の意味とは?個人の尊厳の本来の意味とは?個人が大切だと言って、教育は個人を放っているではないか。日本人が没個性へ向かっているのは明らかである。人間を、人間関係を、そしてそれらと連なる世界を単純化して考えていても、複雑なものは複雑なままである。合理的に考えるということは、何でもかんでも単純化して考えることではない。どうして、そのような単純な事に、単純に気付けないのか?インターネットにより、世界が広がったような気になってしまうのだが、実世界はひとつも変わっていないのだ。インターネットの世界で小我を表現していたって何にもならない。もっと複雑で美しい個性の世界を、ありのままに表現するべきなのだ。

 

ひとりは寂しい。表現によって共感を得たい。人間の切実な感情である。ならばどうして、そのような表現が生まれないのか?小我という仮象が囁くのだ。

 

「恥ずかしい表現は嫌だ。もっと立派に思われるような表現がいい。」

 

小我からは全く嘘の表現しか出てこない。虚しい。寒い表現である。切実な寂しさは伝わってこないのだ。

 

 

 

 

 

私の、あなたの表現はどこにあるのだろうか?あなたは、それを真剣に探したことがありますか?

 

 

 

 

アイドルとフェミニズム

 

 

私はアイドルが好きです。最近はテレビをつけると、意識して探さずともAKBグループに所属しているメンバーの顔を見ることができます。みなさんとても可愛らしく、慣れない芸能の世界の中で、生きていくために一生懸命なのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがして、何がこの感情を生むのか以前から気になっておりました。

 

私は「可愛い」という言葉があまり好きではありません。言葉の主は無意識のうちにその対象を支配するような気分になるからです。「そんなことがあるもんか」と思うでしょうか?ところが言葉というものをよく考えてみますと、そんなことも、実はよくあることなのだと気付くのです。日本語は特に、多くは言葉より先にある意味を持っております。言葉の意味は時代と共に移ろうものでありますが、その言葉より先にある意味というのは普遍のものなのです。それは言葉が持つイメージのような形で、私たちの意識の裏に潜んでいます。「可愛い」という言葉に潜んでいるイメージは、封建的な関係性であり、主人が扶養を受けている者に抱く慕情のようなものではないでしょうか。実際、アイドルに対して支配的な態度を取っているアイドルオタクは多いように感じます。

 

つまり、アイドルの活動をみていて私が抱いていた感情は「可愛い」という言葉で表現されて妥当なものであり、未熟で守られるべき女の子が、芸能界というシビアな舞台で頑張っている様子に対し、まるで子煩悩な親の思いのようにお節介で、それでも抑えきれずに疼く愛情の一種であったのです。

 

そのような愛情は美しいものです。しかし、ひとはその愛情を失いたくないと願うあまり、対象を弱いままにして支配を続けようとしたり、また愛情を与えることに依存し、見返りを求めたりしてしまう。愛情はそのような変質を遂げた途端に腐臭を放つものでもあります。親にそのような歪んだ愛情を与えられた子が、ひとから与えられる愛情に対してトラウマを抱えてしまうなんてことも、頻繁にあることなのだと思います。

 

一方で、現代はフェミニズムが盛んに唱えられる時代です。欧米ではすっかり馴染んだ思想で、政治や思想界で頭角を現した女性が運動の象徴とされ、次第に盛り上がっていくというのが、この運動の自然な流れのようです。リベラリズムのうねりが知的な女性に及ぶと、これは必然として起こるものなのでしょう。日本で暮らしていても、女性の大半が大学に進学することを希望し、自ら進んで学ぶことを望んでいるのだと実感できます。

 

AKBグループはしばしば、そのようなフェミニズムの立場にある方から批判を受けるのです。十代の少女の人生をグループが縛るのは如何なものか、活動が忙しくてまともに勉強できないのは可哀想だ、等々。近頃で最も話題になったのはHKT48の 「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という楽曲でした。歌詞が女性蔑視ではないかと、方々から批判の声が上がったそうです。

 

それに対するアイドルオタクの反論といえば、大抵のところ「表現の自由」を掲げて撥ねつけるだけであったと思います。議論が起こったことは興味深いのですが、誰も正面から問題に立ち向かわず、ネット掲示板では「AKBなんて興味ないし」の一言で済まされる始末の悪さ。しかたないことであったのかもしれません。自由と自由が戦ったところで、何も解決にならないということは自明でありました。しかし、それで問題を手放して良いというものではありません。言うなれば、その「自明である」というところに、問題の本質があったのではないでしょうか。

  

私はフェミニズムという思想も、その根幹にあるリベラリズムという思想も、どちらも素晴らしい思想であると思います。皆がこの言葉を意識するようになれば、どれだけ住みやすくなるだろうかと空想してみることだってあるのです。しかし私が何かに縛られている他人に対して、「君は不自由だから一緒に自由になろう」とは言えません。これは他人の自由を拘束する行為であるからして、自由への欲求は自分の胸に秘めておくより他にないのです。

 

日本には「自由」という一語のみが存在しますが、英語には「リバティ」と「フリーダム」の二語が存在しています。このことをよく考えてみてください。

 

例えば、無人島に放り出されたイギリス人が、あらゆる拘束から解放されたことで手に入れた自由を叫ぶとします。彼はどのように叫ぶでしょうか?「フリーダム」と叫んでいる様子が想像できるのではありませんか?「リバティ」と叫ぶのはこの場合にそぐわない気がします。

 

日本人が小学校の道徳で学ぶ、「自由には責任が伴う」という文章の場合には、自由を「リバティ」と訳すのが適切ではないでしょうか。

 

つまり、「リバティ」とは社会の中で生きる人間に対し、率先して求めても良しとされた権利のことであり、「フリーダム」とはもっと本来的な、裸の状態の自由を指しているのです。したがって、リベラリズム(liberalism)から発展したフェミニズムとは、女性が社会進出をして活躍する権利、即ちリバティ(liberty)を主張する考えであり、フリーダムとは違います。

 

これに対し、「表現の自由」とか「言論の自由」という場合に使われている自由は「フリーダム」です。人間が生まれつき持っている自由であり、これはわざわざ声に出して主張するものではありません。「フリーダム」とは行動する自由なのです。他人が奪えるものではなく、抽象的なものであります。社会的な自由(リバティ)の権利を獲得して、どのように利用するかは各人の自由(フリーダム)であると言えます。

 

アイドルとフェミニズムの問題に戻って考えると、アイドルにも一般女性にも、勉強をして社会で働く自由(リバティ)があります。しかし、職業をどうするか、アイドルになるのかどうかは各人の自由(フリーダム)なのです。自由(リバティ)には責任が伴うため、責任能力が充分でない子どもの自由(リバティ)は一部制限されます。アイドルのオーディションを受けた女の子は自らの自由(フリーダム)によって、アイドルになる選択をしたのです。それによって自由(リバティ)を得る機会を損なうことがあっても、二つの自由に直接の関係はありません。

 

自由の問題が論じられるとき、しばしばこの二つの自由が戦っていることがあるのです。一方はリバティを尊重すべきだと言い、一方はフリーダムが欲しいと言っている。これでは議論に収拾がつきません。リバティに関する議論ならば、どこまでそれを認めるのかを話し合うべきです。フリーダムはそもそも議論するような問題ではありません。議論するにしても、その全貌を明らかにするための議論であり、どちらの自由が重要かという議論には踏み込めないのです。

 

自由を求める声を聞いて、嫌悪感を抱くことがあります。「自由を叫んでいる彼はいったい何を正義としてそれを主張しているのだろうか?」と感じるのです。彼が求めるものがフリーダムであれば、彼の正義は彼自身にあります。自分のフリーダムのために誰かのフリーダムを奪わんとしているのです。ひとのいない道を選んで歩く権利を持ちながら、人混みのなかで「フリーダム」と叫び、通行人を押しのけて歩いている。そんな横暴が許される理由がありません。声をあげる権利はフリーダムです。しかし、ひとが声をあげて求めても良い自由はリバティだけであったはずなのです。一般に青年が武器に取り、盾として構えているのはフリーダムである場合が多いと思います。フリーダムは精神的な自由であり、他人に干渉できるようなものではありません。

 

ここまで、自由がどうやら二つに分類できるらしいと話してきました。はたして、あなたが欲する自由はどちらの自由でしょうか?表現の世界には、本質的なフリーダム、精神の自由があります。同時に、他人のフリーダムを決して奪ってはいけません。もしもリバティを望むならば、そこに伴う義務と責任を自覚し、正当な手段を以て獲得すべきなのです。

 

フェミニズムを主張する立場にあるならば、同様に他の権利も尊重するべきではないでしょうか。人間の価値は勉強で得られる知識量で決まるものではないと思います。アインシュタインを知らなくても、ディアナ・アグロンの演技や歌から様々なことを学んで感性を磨くことは女性としての魅力を引き立てることであり、マイナスになることなんてないでしょう。活動をしながら勉学に励んでいるアイドルもたくさんいるのです。可愛さを磨いて素敵な男性と出会い、家族のために尽くす人生も、大学を卒業して自立し、同じように自立した男性と支え合っていく人生も、ひとが生きた道であることは変わりません。そこに客観的に見た差なんて存在しないのです。

 

また、ひとが本質的に自由だからと言って、好き勝手に自由を振り回しても良いとするのは、二つの自由の意味を混同した我儘としか言えないと思います。どんなに他人の表現に腹が立っても、それを規制する権利は誰にもないはずです。あなたはあなたの自由によって表現ができる。芸術の世界における自由の本質はたったそれだけなのです。

 

 

紫陽花

 

今日は一日雨でした。草木も黙る雨でした。

 

 

目が覚めても朝だとわからなかったわ。いつも日を反射して騒がしい白い壁も、今日ほどの雨だと憂鬱を隠せないみたい。黙り込んで灰色だったの。本当なら、起きたらすぐに支度をして、中島川の辺りを、眼鏡橋とその他の十五もある橋を使って、あっちに行っては、こっちに帰る、そんな散歩に出るつもりでしたのに、雨の音の迫力を聞いて、すぐに観念して布団にもぐってしまったわ。

 

雨の日はなんだか、気分は沈んで知恵ばかりが働くみたい。嫌だわ。寂しくてたまらなくなるもの。いくら冷静になって考えても、この寂しさだけは拭えないわ。外は雨で騒がしいはずなのに、いつも気に留めない部屋の静寂が際立って聞こえるのはなぜかしら。ここだけ時間が流れていないみたい。きっとみんな雨に流されてしまうのよ。

 

蛇は雨が好きなのかしら?わたしはこのシトシトが嫌いよ。ひとより肌が薄いのか、少しの刺激が耐えられないの。湿気が多いと、肌に下着がまとわりついて、わき起こる痒みにイライラしちゃう。流れる水は何より清いものだけど、溜まった水は何より汚れたものなのよ。

 

誰かがこの部屋を覗いたら驚いてしまうでしょう。そこで白い蛇と透明な水晶玉が戯れているのですから。いつだかあなたは言っていたわ。世界をこの目で見て廻りたいって。そんなの訳無いことよ。液体になって世界に溶けてしまえばいいのだわ。いらない着物は捨てましょう?流れる場所へ流れたらいいのです。自由なんて求めれば逃げていく幻想に過ぎない。いったい何に逆らうっていうの?あなたは自ら望んで、躰に縛られてるわ。

 

あなたは大蛇になって、いつか世界を呑み込みたいのね。けれど、そんなものはどうだっていい。どうだっていいから、どうかこの寂しい躰を呑み込んでくださらない?わたしがあなたに対して希うことなんて、たったそれだけなのに…。

 

 

 

 

現に見ゆるまで美しきは紫陽花なり。其の淺葱なる、淺みどりなる、薄き濃き紫なる、中には紅淡き紅つけたる、額といふとぞ。

 

玉簾の中もれ出でたらんばかりの女の俤、顏の色白きも衣の好みも、紫陽花の色に照榮えつ。蹴込の敷毛燃立つばかり、ひら〳〵と夕風に徜徉へる状よ、何處、いづこ、夕顏の宿やおとなふらん。

 

 

 

 

 

今日の紫陽花は、少し、赤いみたい。

 

わたしは未熟なの?

 

わたし、いつになったら大人になれるのかしら?何を済ませれば、大人になれるのかしら?そう思って、少女のままで生きてきたけれど、今日は少しだけ、大人の気分がわかった気がするわ。

 

美しさを追い求めて、いよいよ醜さを愛せるようになったらば、わたしはちょっとだけ、大人。

 

 

 

 

九月二十四日、奈々。